アベラールとエロイーズ 中世パリの禁断
歴史のあやまち · 2026-07-02 · 約902字 · 約2分
これは、12世紀パリで起きた、ヨーロッパ最初の「書かれた」恋の物語です。 哲学者と若い才女が出会い、引き裂かれ、そして残された手紙だけが、800年後の私たちに彼らの声を伝えています。
1. 哲学界のスター
ピエール・アベラール(英語表記ピーター・アベラード)は1079年、ブルターニュの貴族の家に生まれました。 彼は剣と紋章を捨てて、思想の道を選びます。 当時のヨーロッパで最大の知的中心地は、まだ大学制度ができる前のパリでした。
アベラールは20代半ばで、論理学と神学の分野で名を上げます。 ノートルダム大聖堂付属の学校で講義を持ち、当時の有名な哲学者ギヨーム・ド・シャンポー、アンセルム・ド・ラオンと論争を繰り広げて、ことごとく論破していきました。 30歳の頃には「ヨーロッパで最も話題の哲学者」と呼ばれるようになります。
しかし彼の周囲には、敵も多く生まれていました。 論争に負けた著名学者たちは、若き挑戦者を快く思いません。 そして、別の事件が彼を待ち受けていました。
2. フルベール家に住み込んだ家庭教師
1115年頃、35歳前後のアベラールは、ある若い女性の噂を耳にします。 エロイーズ——年齢は15歳から19歳の間と諸説あります。 彼女は ラテン語・ギリシャ語・ヘブライ語に通じた稀有な才女 として、パリで知られていました。
エロイーズは、ノートルダム大聖堂の参事会員(カノン) フュルベール の姪として育てられていました。 当時、女性の高等教育はほぼ存在しません。 そんな時代に、エロイーズは三言語を操る学者として、聖職者社会の中で異彩を放っていたのです。
アベラールは、フュルベールに 「家庭教師として住み込みたい」と申し出ました。 報酬は不要、ただエロイーズに哲学を教える機会が欲しい——という条件です。 フュルベールは、姪に当代随一の哲学者の教えを受けさせる栄誉と、無料で同居人を得られる経済的利益から、これを承諾します。
しかし、アベラールの本当の目的は別にありました。 後年の自伝『わが災厄の物語(Historia Calamitatum)』で、彼自身がこう告白しています。
