もしも研究所

カリオストロ伯爵 ――18世紀ヨーロッパを席巻した魔術詐欺師の正体

歴史のあやまち · 2026-01-16 · 約3,250字 · 約8分

「不死の伯爵」の登場

1780年代のパリ、ヴェルサイユ、ロンドン、ロシアの宮廷で一人の男が旋風を巻き起こしていた。

「カリオストロ伯爵(Conte di Cagliostro)」を名乗るこの人物は、自らを「3000歳の魔術師」と称し、錬金術・カバラ・フリーメイソンの秘儀・霊の呼び出しによって病を癒し、若返りの薬を調合し、未来を予言できると主張した。

ヴェルサイユ宮廷の婦人たちは彼に魅了された。マリー・アントワネットの侍女たちも彼の薬を争って求めたと伝えられる。ロシアでは1779年ごろにサンクトペテルブルクを訪れ、わずか9か月ほど滞在したとされるが、皇后エカテリーナ2世(大帝)は早々に彼を山師と見抜いたという。それどころかエカテリーナは1785年から86年にかけて、フリーメイソンと詐欺師を嘲笑する複数の風刺喜劇を自ら筆を執って書き、そのうちの一篇『騙し屋(Обманщик)』では、カリオストロを「カリファルクジェルストン」という人物に仮託して、被害者から黄金を巻き上げる山師として戯画化した。一人の流れ者が、一国の女帝にわざわざ戯曲を書かせるほどの存在になっていたわけである。

この人物の本名は、ジュゼッペ・バルサモ(Giuseppe Balsamo)である。1743年6月2日、シチリアのパレルモ、アルベルゲリーアという貧しい地区に生まれた。「カリオストロ」という名前は、母方の縁者にあたる名付け親ジュゼッペ・カリオストロから取ったものとされ、後年、ヨーロッパの称号らしく響くこの姓を彼が自分の偽名として流用した、という説が有力である。

なお、彼を一括して「魔術詐欺師」と断じるのは一面的でもある。治療・錬金術・秘儀によって上流社会に入り込んだ人物であり、その詐欺性が後世に厳しく指摘される一方で、錬金術や秘教が「まだ否定されていなかった」当時の流行の中で本気で受け入れられた面もあったとされる。


シチリアの若者からヨーロッパの「伯爵」へ

バルサモの出自は明確ではないが、パレルモの貧しい地区に生まれたことは概ね一致して伝えられる。少年期には聖職者になるべく神学校やベネディクト会系の修道院に預けられたが、たびたび脱走したともいう。若い頃から詐欺まがいの行為に手を染めていた。

彼がヨーロッパ規模の山師として台頭したのは、ロレンツァ・フェリチアーニ(Lorenza Feliciani)という女性と1768年ごろに結婚し、コンビを組んでからとされる。彼女は後年、夫が「カリオストロ伯爵」を名乗るのに合わせて「セラフィナ(Serafina)」という名で通すようになった。二人はヨーロッパ各地を旅しながら、「伯爵と伯爵夫人」として上流階級に紛れ込み、治療や秘儀と引き換えに金銭を集めていったとされる。

カリオストロが組織の核に据えたのが、フリーメイソンだった。彼自身は1776年ごろにロンドンでフリーメイソンに加入したと考えられている。やがて彼は、古代エジプトの叡智を継ぐと称する独自の「エジプト式フリーメイソン」を創始したと喧伝し、会員を募って高額の入会金を集めた。1784年12月24日には、フランスのリヨンに、富裕な信奉者たちの出資で建てられた専用の神殿で、この儀礼の母ロッジ「勝ち誇る叡智(La Sagesse Triomphante)」を発足させた。男女がともに参入できる点も当時としては異例で、上流婦人たちの好奇心をいっそうかき立てた。自らシチリアの貴族の血を引くと主張したが、これは偽りだった。


首飾り事件とマリー・アントワネット

カリオストロの名前が歴史に深く刻まれた事件がある。1785年の「王妃の首飾り事件(L'affaire du collier de la reine)」だ。

事件の概要: ルイ16世の宮廷の高位聖職者ロアン枢機卿が、マリー・アントワネット王妃が欲しがっているという偽の手紙に騙され、160万リーヴルとされる莫大な代金のダイヤモンドの首飾りを詐欺師ラ・モット伯爵夫人の一味に売り渡した——というものだ。

カリオストロはこの事件に周辺的に関与したとして逮捕され、ロアン枢機卿らとともにバスティーユ監獄に収監された。だが審理の結果、1786年5月31日の判決で彼は無罪放免となる。首飾りを実際に詐取した一味の中心人物ラ・モット伯爵夫人が鞭打ち・烙印のうえ投獄されたのとは対照的だった。無罪とはいえカリオストロは間もなくフランスから追放されている。

この事件はマリー・アントワネットの評判をさらに悪化させた——彼女自身は首飾りの取引にまったく関与していなかったにもかかわらず、宮廷の浪費と虚栄の象徴として民衆の怒りを一身に浴びることになった、と一般に評される。歴史家のあいだでは、フランス革命へ向かう世論を加速させた一連の出来事のひとつとして数えられることが多い。カリオストロ自身は無罪を勝ち取ったものの、ヨーロッパ中の耳目を集めたこの裁判によって、その名はかえって一段と高まった。


晩年と宗教裁判による終焉

追放されたカリオストロは、各地を転々とした末、1789年にローマへ戻った。ここで彼は致命的な失態を犯す。教皇の直接支配下にあり、フリーメイソンがカトリック教会から厳しく禁じられていたこの都市で、よりにもよってロッジを設立しようとしたのだ。彼に近づいた人物が異端審問所の密偵だった、とも伝えられる。

ほどなく彼は逮捕され、異端審問にかけられた。フリーメイソン活動・魔術・異端などの罪状で、1791年4月、終身禁固刑を宣告される。審問の過程では、妻セラフィナが取り調べに応じ、自らの放免と引き換えに夫の不利となる証言をしたとされる。長年連れ添った相棒に最後に裏切られた、という筋立てで語られることが多い。

カリオストロはアペニン山中の断崖に立つサン・レオ要塞(現在のイタリア・マルケ州)の独房に幽閉され、1795年8月26日、そこで生涯を終えた。享年52。脳卒中で倒れたとも、看守との確執の末に衰弱したとも伝えられるが、人里離れた要塞での死だけに、その最期の様子については食い違う記録がいくつも残っている。妻セラフィナもまた、その後ローマの修道院に送られ、外界に戻ることなく没したとされる。


「もしも」の視点: 詐欺師の天才性

カリオストロの事例で注目されるのは、彼が成功した背景だ。

18世紀後半のヨーロッパは、奇妙な二重性をかかえた時代だった。一方では、百科全書派が迷信を撃ち、ニュートン力学が宇宙を時計仕掛けとして説明しはじめていた。だが他方で、まさに同じ啓蒙のサロンで、フリーメイソンが爆発的に広まり、メスメルの「動物磁気」が貴婦人たちを失神させ、錬金術がまだ完全には否定されきっていなかった。理性が古い権威を解体した後にできた空白へ、新しい神秘がなだれ込んだ——カリオストロが立っていたのは、ちょうどその裂け目だった。

この条件は、いくつもの具体的な需要を生んでいた。第一に、医学である。当時の正規医療は瀉血(血を抜く治療)や水銀剤が主流で、しばしば病より治療のほうが患者を害した。だからこそ、痛みを伴わず「気」や「霊薬」で癒すと称する施術には、合理的に考えても乗り換えるだけの余地があった。第二に、身分である。称号が人の信用を決める社会では、「伯爵」という肩書きそのものが一種の通貨であり、出自を確かめる手立ては乏しかった。第三に、秘密結社という回路である。フリーメイソンの相互信頼のネットワークは、よそ者が一夜にして上流社会の只中へ入り込むための、既製の配管として機能した。カリオストロは、この三つの空白に同時に身を差し込んだのである。

もしも18世紀ヨーロッパという文化的条件がなければ、バルサモという男はシチリアの一介の山師で終わっていたかもしれない。逆に言えば、彼が騙し得たという事実そのものが、その時代の不安と渇望を映す鏡でもある。時代が「カリオストロ伯爵」を必要としていた、と言ってもよい。

そして、その裂け目は18世紀で閉じたわけではない。権威らしきもの——白衣、肩書き、専門用語、内輪だけが知る「秘密」——をまとって、検証の難しい希望(若返り、治癒、確実な儲け)を売る構図は、健康詐欺や陰謀ビジネス、あるいは現代版のカルトとして、形を変えて繰り返し現れる。社会が「見たいもの」を見せてくれる存在に対して払う金は、時代を問わず存在する。カリオストロが示したのは、人を欺くのに必要なのは超自然の力ではなく、相手の願望と、それを検証しにくくする舞台装置なのだ、という古くて新しい教訓だったのかもしれない。


カリオストロの文化的遺産

存命中から、カリオストロは文学者たちの恰好の題材だった。フリードリヒ・シラーは未完の小説『招霊者(Der Geisterseher)』(1786〜89年ごろ執筆)で、霊を呼び出す謎の人物を描いてカリオストロの影を落とした。ゲーテにいたっては、わざわざパレルモのバルサモ家を訪ねて素性の裏を取ったうえで、首飾り事件を下敷きにした喜劇『大コフタ(Der Groß-Cophta)』(1791年)を書いている。詐欺師という主題が、当代第一級の知性をそこまで動かしたわけである。

英語圏で彼の評判を決定づけたのは、トマス・カーライルが1833年に発表した辛辣な評論だった。カーライルは彼を「詐欺師中の詐欺師(Quack of Quacks)」と切って捨て、この呼び名が長く定着した。一方フランスでは、19世紀にアレクサンドル・デュマ(大デュマ)が、『ジョゼフ・バルサモ』『王妃の首飾り』などからなる長大な小説連作の中で彼を主要人物に据え、フランス革命を背後で操る秘密の支配者として大胆に造形している。史実の山師は、こうして次々に文学的な怪物へと膨らんでいった。

20世紀には、宮崎駿のアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)によって、日本でも「カリオストロ」は広く知られる名前になった(ただしアニメの「カリオストロ」は架空の公国の名前であり、史実の人物とは直接の関係はない)。

詐欺師が文化的アイコンになるという現象は珍しくないが、カリオストロの場合、その「ヨーロッパ全土を股にかけた規模」と、「18世紀という神秘主義と合理主義のはざまの時代」という文脈が、独自の魅力を持ち続けている。


本稿の史実部分は、イアン・マクカルマン(Iain McCalman)著 The Last Alchemist: Count Cagliostro, Master of Magic in the Age of Reason(2003年)等をもとに構成しています。同時代の証言としては、ゲーテ『大コフタ』(1791年)、トマス・カーライルのカリオストロ論(1833年)などが知られます。カリオストロの出自・言動・最期については諸説があり、一次資料も限定的なため、本稿の年代・経緯には不確実な部分が含まれます。


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