鶏用ゴーグル特許 ――1903年、鶏舎の共食いを止めるための#730,918
特許博物館 · 2026-06-09 · 約2,500字 · 約6分
「珍特許」と呼ばれるものの多くは、笑い話で終わります。 けれど、なかには半世紀ものあいだ本当に売れ、本当に使われたものもある。 1903年に米国特許庁が認めた**#730,918**は、その一つです。発明品の名は「Eye-protector for chickens(鶏用の目保護具)」。要するに、鶏のためのゴーグルです。
1. 鶏舎の共食いという、見えにくい問題
養鶏の現場には、いまも昔も、外からは見えにくい問題がいくつかあります。そのうちの一つが「カニバリズム(共食い)」と呼ばれる行動です。狭い空間に多数の鶏を入れて飼うと、序列争いやストレスから、強い個体が弱い個体の羽や尾、肉冠、そして目をつつくようになる。出血の色がさらにつつきを誘発し、群れ全体に伝染することもある——というふうに伝えられてきました。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、米国の中西部では大規模な平飼い養鶏が広がります。卵と鶏肉の需要が増えるなかで、飼育密度も上がり、つつき被害は無視できない経済問題になっていきました。失明した鶏は給餌・飲水・産卵にまで支障が出るとされ、群れの生産性を直接押し下げる要因の一つです。
この時代、決定的な解決策はまだありません。のちに普及することになる「嘴切除(debeaking、ビーク・トリミング)」は、加熱したブレードでくちばしの先端を切り落とす処置で、20世紀半ば以降に米国の鶏舎で広まりますが、1900年前後にはまだ一般的ではありませんでした。「つつかないように、目だけを守ってやればいい」というアイデアは、当時の素朴な発想として理にかなっていた、と言うこともできます。
2. 特許#730,918、首のストラップで両眼にレンズ
そこに登場したのが、米テネシー州ミューニック(Munich, Tennessee)在住の発明家**アンドリュー・ジャクソン・ジュニア(Andrew Jackson Jr.)**です。
彼は1902年12月10日に特許を出願し、翌1903年6月16日、米国特許**#730,918**として「Eye-protector for chickens」が登録されます。図面に描かれているのは、左右の小さな円形レンズと、それを保持するために首回りにかける弾性のU字ストラップ。頭の前にちょこんと載るその姿は、サングラスというより、片眼鏡(モノクル)を二つつなげたような形状です。
構造そのものは驚くほど素朴で、可動部はほとんどありません。要点は次の三つに整理されます。
- 両眼の前にレンズを配置すること。これによって他の鶏のくちばしが直接眼球に到達しにくくする。
- 首回りにかけるU字状の弾性ストラップで固定すること。頭部に巻くバンドではなく、首にかけたばねの力で2枚のレンズ枠を顔の前に保持する。
- 視野は完全には遮らないこと。給餌や移動のために、ある程度の透視性は残す。
特許明細書では、つつき被害から鶏の眼を保護し、結果として群れの被害を減らすこと——という、ごく実用的な目的が説明されています。20世紀のメガネ業界の華やかさとは無縁の、いかにも農場用の小道具です。
3. 赤いレンズ、Anti-Pix、半世紀の量産
#730,918 そのものは個人発明家による出願ですが、この種の「鶏ゴーグル」は、その後National Band & Tag Company(ケンタッキー州ニューポート)など複数のメーカーが、長年にわたって量産・販売することになります。**「Anti-Pix」「Chicken Specs」「Pick Guard」**といった商品名で、米国の養鶏資材カタログに何十年も載り続けたとされます。
中でも有名なのが、赤いセルロイド製レンズを使ったバージョンです。当時の販売資料では、レンズの赤色が「血の色を目立たなくし、つつき行動を誘発しにくくする」と説明されていました。視覚的に攻撃の引き金を減らす、という発想です。色そのものの効果について現代の動物行動学の評価は分かれますが、養鶏の現場では「赤いゴーグルをかけさせると群れが落ち着く」と経験的に支持されたと言われています。
実際の使われ方は、いくつかの段階に分かれていました。
- 被害が出ている群れだけに装着する運用。首にかけるストラップは鶏にとって決して快適ではないため、群れ全体ではなく、つつきの加害側・被害側の鶏に限定して使われることもあった。
- 若鶏のうちから装着する運用。成鶏になってから初めて視野が制限されると暴れやすくなるため、早い時期から馴らす方法。
- 季節限定の運用。日照時間や換羽期など、つつきが増える時期に合わせて一時的に装着する方法。
1900年代から1950年代にかけて、米国の中規模・大規模養鶏場の備品リストに、Anti-Pix の型番がふつうに並んでいた——という記述が、各種の農業史アーカイブに残されています。半世紀近く、「鶏舎の必需品」の一つとして売られ続けた珍特許、と整理してよさそうです。
4. 嘴切除に押されて、コレクター棚の中へ
潮目が変わるのは、20世紀の半ば以降です。
養鶏が大規模化・産業化していくなかで、つつき対策の主流は**嘴切除(debeaking / beak trimming)**へと移っていきます。加熱ブレードや赤外線で雛のくちばし先端を短くする処置で、装置さえそろえば作業を流れ作業で済ませられる。一羽ごとにゴーグルを掛け外しする必要がないという点で、コスト面の優位は決定的でした。
1973年、**米国農務省(USDA)**が関連する研究を行った際、ゴーグル方式について「動物福祉の観点では嘴切除より望ましい面もあるが、視認性の低下により給餌・飲水・社会行動に支障が出る」という趣旨の評価が示されたと伝えられています(数字や条件の細部は資料により幅があります)。つまり、まったくダメなわけではないが、産業のスケールには合わない、というポジションに置かれたわけです。
その後、米国・欧州ともに養鶏の単位面積あたり羽数は大きく増え、嘴切除と鶏舎環境管理(照度を落とす、群れサイズを調整する、エンリッチメントを与える、など)を組み合わせる方向で標準化が進みます。鶏用ゴーグルは、製造量を徐々に減らし、20世紀後半にはほぼ生産が途絶えたとされます。
代わりに増えたのが、コレクター市場での取引です。アンティーク農具のオークションでは、現存する Anti-Pix が1個20〜50ドル程度で取引されることがあると報告されており、状態の良いオリジナル木箱入りはそれ以上の値が付くこともあるようです。USPTOや各種メディアの「珍特許リスト」「奇抜な特許トップ◯」の常連でもあり、博物館の企画展で実物が展示されることもあります。
産業の現場から去ったあとも、この特許は別の場所で残り続けている。動物倫理の議論で「装着型の福祉用具」の先駆例として参照されたり、デザインの授業で「機能と滑稽さの境界」を考える教材にされたりと、文脈を変えながら、ときどき思い出される存在です。
「もしも」の問い
もし1903年の時点で、現在のような飼育環境管理の知見と、動物行動学的なつつき抑制策が出そろっていたら——。 #730,918は、そもそも申請されなかったかもしれません。
けれど、「目の前の弱い個体を、いまできる方法で守りたい」という発想そのものは、当時も今もそれほど変わらないように思えます。半世紀ものあいだ実際に売られ、使われ、ある程度の効果があったと評価された珍特許というのは、そう多くありません。
笑える形をしているからといって、笑い話だけで片付けてしまうのは、たぶん少しもったいない。 産業のスケールが変われば、最適解も変わる。 かつての「最適解」が、コレクター棚の中で静かに古びていく——というのは、特許博物館でしばしば出会う光景でもあります。
#730,918は、そんな棚のいちばん目立つ場所に、いまもちょこんと載っています。
参考・出典
- USPTO / Google Patents — US730918 (Andrew Jackson Jr., 1903) — 出願日・登録日・図面・明細書
- Smithsonian Magazine — chicken goggles 関連記事 — 歴史的経緯とコレクター市場
- National Band & Tag Company(ケンタッキー州ニューポート) — Anti-Pix を含む鶏用資材を長く扱ったメーカー
