もしも研究所

コルト回転式拳銃 銃器の革命 ――1836年、サミュエル・コルトが特許を取った日

歴史のあやまち · 2026-10-21 · 約1,185字 · 約2分

16歳の少年と回転する円盤

伝説によれば、サミュエル・コルトが「回転式銃床(リボルバー)」のアイデアを思いついたのは、大西洋を渡る船の上だった。1830年頃のことだ。

船の操舵輪が回転する仕組みを見て、「銃の薬室が回転すれば、一回の装填で複数回撃てるのではないか」と思ったという——この逸話はコルト自身が好んで語ったものだが、後世の研究者はそれを「作られた伝説」である可能性も指摘している。

確かなことは、コルトが1836年にアメリカ・イギリス・フランスで特許を取得し、以後数十年にわたって「リボルバー」という設計の独占的生産者として市場を支配したことだ。


コルトとは何者か

サミュエル・コルト(Samuel Colt)は1814年、コネチカット州ハートフォードで生まれた。父は繊維工場主だった。

若い頃から機械・火薬に強い関心を持ち、10代で既に実験的な爆発物を作って池に投げ込み、近所の人々を驚かせたとも伝えられる。

正規の教育より実地の発明に向いた性格だったコルトは、「亜酸化窒素(笑気ガス)」を使ったパフォーマンスショーを各地で開催し、その収益で特許取得と製品開発の資金を得たとされる。


最初の特許と最初の失敗

1836年2月25日、コルトはアメリカで「回転式シリンダーを使った多連発銃」の特許を取得した。

これを製品化したパターソン・コルト(Colt Paterson)はニュージャージー州で製造されたが、当初の商業的成功は限定的だった。軍と政府からの大口受注を得られず、パターソン社は1842年に閉鎖した。

コルトにとって暗い時期が続いた。彼は発明家として他のプロジェクト——水中電信線・水雷(機雷)の開発——に手を出しながら、銃の製造への再参入を模索した。


テキサスとの出会いが変えた

転機は1847年にやってきた。

テキサス・レンジャーズのキャプテン、サミュエル・ハミルトン・ウォーカーがコルトに接触し、「より大型で丈夫なリボルバー」の製作を依頼した。メキシコ=アメリカ戦争(1846〜1848年)の戦場での需要だった。

二人の共同作業で生まれたのが「ウォーカー・コルト(Colt Walker)」だ。当時の実用拳銃としては最大口径・最大火力を持つ設計だった。

政府からの1000丁の受注で、コルトは事業を再建した。その後、コネチカット州ハートフォードに工場を設立し、製造を本格化させた。


標準化・互換性生産の先駆け

コルトの真の功績は、「リボルバーの発明」だけにとどまらない。

彼は製造工程に「互換性生産(interchangeable parts)」の概念を導入した先駆者のひとりとして知られる。同じ規格の部品を大量生産し、どの銃の同じ部品も取り替え可能にする——この発想は、後にフォード・テイラー主義として20世紀の製造業を支配する原理の原型だった。

この記事をシェア

𝕏💬 LINE📑 はてB
SPONSORED
Amazon (もしもアフィリエイト)
SPONSORED
楽天ひかり楽天カード
SPONSORED
サンプル百貨店(お試し通販)アソビュー(遊び・体験予約)