バーニー・マドフ 月次明細書のなかの650億ドル
歴史のあやまち · 2026-06-15 · 約1,013字 · 約2分
NASDAQ証券取引所の元会長が、20年以上にわたってポンジ・スキームを続けていた—— 2008年12月、ニューヨーク連邦地裁の予備審問で明らかになったこの事実は、米国金融史の中でも特異な事件として記録されています。
1. 実際に起きたこと
バーナード・ローレンス・マドフは1938年、米ニューヨーク州クイーンズ区生まれの証券業者です。 ホフストラ大学で政治学を学んだ後、1960年に バーナード・L・マドフ証券投資会社 を設立します。 当初は店頭株式の取引を扱う小規模なブローカーでしたが、1970年代に電子取引システムへの早期参入で頭角を現し、1990〜93年にかけてNASDAQ証券取引所の会長 を務めるなど、業界の権威の一人となっていきます。
マドフ証券会社は、表向きは2つの事業を持っていました。
- マーケットメイク事業(店頭株式の流動性提供)
- 投資顧問事業(個人・機関投資家からの資金運用受託)
このうち、後者の投資顧問事業が、長年にわたるポンジ・スキームの場でした。
マドフが顧客に提示した運用方法は「スプリット・ストライク・コンバージョン」と呼ばれる戦略で、S&P100指数の構成銘柄を保有しつつ、コール・オプションを売り、プット・オプションを買って下値リスクをヘッジする、というものでした。 この戦略自体は実在し、理論的にも妥当性があります。 ただし、マドフが顧客に示した運用成績——市場環境にかかわらず年率10〜12%程度の安定リターンを20年以上維持——は、現実の市場では事実上不可能だ、と複数の専門家が早くから指摘していました。
実際には、マドフ証券会社の投資顧問部門は、ほぼいかなる取引も実行していませんでした。 顧客から預かった資金は、新規顧客の資金で既存顧客の解約・分配を賄う、典型的なポンジ構造だった、とされます。 月次明細書は、過去の市場データに基づいて遡及的に「ありえそうな取引」をフィッティングする形で作成されていた、と捜査記録で明らかになっています。
警告の声は、何度も上がっていました。 独立アナリストのハリー・マルコポロスは、2000年5月、2001年、2005年、2007年、2008年と、計5回にわたって米証券取引委員会(SEC)に詳細な書簡を送り、「マドフは数学的に不可能なリターンを報告している。これはポンジ・スキームの可能性が極めて高い」と警告したと記録されています。
