もしも研究所

パーソンズの蒸気タービン特許 ――1897年、観艦式に乱入した34ノットの実験船

特許博物館 · 2026-06-06 · 約2,600字 · 約7分

ヴィクトリア女王の戴冠60周年。 ポーツマス沖に並んだ大英帝国の艦隊のあいだを、 一隻の見慣れない小型船が、誰の許可も得ずに駆け抜けていく――。

1. レシプロからタービンへ ――1884年の特許#6,735

19世紀後半、世界の動力はほぼ往復動蒸気機関(レシプロ)に支配されていました。ジェームズ・ワット以来の改良が積み重なり、工場・鉄道・船舶を動かしていたのは、シリンダーの中をピストンが往き来する、あの大きく重たい機械です。回転を取り出すには、上下や前後の運動をクランクで曲げ返す必要があり、振動・摩耗・効率の頭打ちという課題が、産業全体にのしかかっていたと伝えられます。

その壁を、回転運動そのものから設計し直そうとした人物がいました。チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ(1854-1931)。アイルランドのロス伯爵家の末子として生まれ、父はパーソンズタウンの巨大反射望遠鏡「リヴァイアサン」で知られる天文学者という、いささか変わった環境で育った人です。ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学を修め、卒業後は技師として、ニューカッスル近郊ゲーツヘッドのクラーク・チャップマン社で蒸気機関の電気装備部門に勤めていました。

1884年4月23日、彼は英国特許**#6,735「Parsons turbine engine」**を出願します。これがのちに「パーソンズ・タービン」と呼ばれることになる、多段反動式蒸気タービンの基本特許でした。蒸気の運動エネルギーを一気に羽根車にぶつけるのではなく、何段にも分けたブレードを蒸気が通過するたびに、少しずつ膨張させ、少しずつ仕事に変えていく――そういう考え方です。一段あたりの蒸気の速度差を抑えれば、ブレード先端の周速を実用的な範囲に収めながら、全体としては高い熱効率を取り出せると整理されました。

同じ年、パーソンズはこの特許に基づく世界初の蒸気タービン発電機を、勤務先のクラーク・チャップマン社で組み上げています。出力7.5kW、回転数毎分18,000rpmと伝えられる、いまの基準で見れば小さな機械です。ただし、当時のレシプロ発電機が数百rpm止まりだったことを思えば、その回転数は桁が一つ違う領域でした。高速回転に耐える軸受、釣り合いの取れたブレード、過熱しない蒸気経路――特許の図面の裏には、量産以前にまず「壊れずに回すための」工夫が無数にあったと言われています。

1894年、パーソンズはクラーク・チャップマン社から独立し、ニューカッスル近郊ヒートンにC.A.パーソンズ社を設立します。発電用タービンの製造を本業に据えた、新しい会社でした。

2. タービニア号、観艦式の乱入

陸上の発電機としては評価が高まる一方、海上での採用は進みませんでした。「実験室では回るかもしれないが、外洋を走る船には向かない」――海軍も商船会社も、慎重を崩しません。そこでパーソンズが選んだのは、自分で船を作って見せるという方法でした。

1894年に進水した**タービニア号(Turbinia)**は、全長およそ30m、細長い葉巻のような船体に、独自設計の蒸気タービンと多軸スクリューを搭載した実験船でした。初期は単軸でうまく速度が出ず、複数のスクリューに分けて回す構成へと改められたと伝わります。地味な試行錯誤の連続で、初期の海上試験では設計上期待した速度に届かなかったとも言われています。

舞台が一気に華やかになるのは、1897年6月26日、スピットヘッド観艦式でした。ヴィクトリア女王の在位60周年(ダイヤモンド・ジュビリー)を祝い、ポーツマス沖に大英帝国の主力艦が居並ぶ、当時として世界最大級の海上式典です。各国の海軍関係者も観覧する晴れ舞台に、パーソンズはタービニア号を無断で乱入させた、と伝えられています。

タービニア号は艦隊の列のあいだを、目撃証言や同時代の報道で**約34.5ノット(時速およそ64km)**とされる速度で疾走しました。追跡しようとした海軍の駆逐艦は、上記の数字どおりだとすれば追いつくことができなかったとされています(当時の戦艦の巡航速度はおおむね15ノット前後、最新鋭駆逐艦でも30ノット台前半)。記録のばらつきから、数値そのものは安全側に「報じられた」と読むべきですが、いずれにせよ、観艦式に並ぶどの軍艦よりも速かった、というのが共通する記述です。

王立海軍は、この事件を罰するのではなく、技術として受け止めます。翌1898年、英海軍はタービン搭載の駆逐艦**「ヴァイパー(Viper)」「コブラ(Cobra)」**を発注。世界の海軍動力史が、ここで静かに切り替わっていきました。

3. ドレッドノートと20世紀の動力革命

決定打となったのは、**1906年に就役した戦艦「ドレッドノート」**です。同口径の主砲を多数搭載した「オール・ビッグ・ガン」の革新で知られるこの艦は、推進機関にもパーソンズ式の蒸気タービンを採用しました。レシプロ機関だった同世代艦と比べて、振動が小さく、高出力を長時間維持できる――この特徴が、大型主力艦の運用思想そのものを変えていきます。世界中の海軍は、ドレッドノート以前と以後で艦艇を二つに分けて呼ぶようになり、各国の戦艦・巡洋戦艦は、わずか数年のあいだに次々とタービン化されていきました。

商船の世界でも転換は早く、**1907年就役のキュナード社「モーリタニア」「ルシタニア」**が、大西洋横断航路にパーソンズ式タービンを採用した代表例として知られます。両船とも当時の大西洋最速級に位置づけられ、定期航路の速度感覚そのものを書き換えました。

パーソンズ本人の業績も、社会的に高く評価されていきます。1911年にナイト爵、**1927年にメリット勲章(Order of Merit)**を授与されました。後者は科学者・芸術家など各分野でわずかな人数にしか与えられない、英国でもとくに格の高い勲章とされます。1931年、76歳で没。クラーク・チャップマン社の片隅で回り始めた7.5kWの実験機は、最終的に、戦艦と大西洋定期船と発電所のすべてを巻き込む技術革命へと育っていきました。

4. 発電所のタービン、いまも回る

パーソンズが示した多段反動式タービンの設計思想は、現代の火力・原子力発電所でも、基本的には変わっていないと整理されています。高圧で生まれた蒸気を、高圧段・中圧段・低圧段と多段に通し、ブレードのねじれや段数を最適化しながら、回転軸から電力を取り出していく――1884年の特許に描かれた構図そのものです。

もちろん、材料は耐熱合金や単結晶ブレードに置き換わり、入口蒸気温度・圧力は当時より大幅に高くなっています。出力も、現代の大型蒸気タービン発電機は1ユニットで数十万kW級が普通で、パーソンズ最初の機械の数万倍規模に達します。それでも、回転軸方向に多段のブレードを並べ、蒸気を少しずつ膨張させながら仕事に変えていく――その「考え方の骨格」は、いまも生きています。

世界全体の発電量のかなりの部分が、いまも蒸気タービンによって作られている、というのが現在のおおまかな共通理解です(自然エネルギー比率の上昇により割合は年々変化しますが、火力・原子力・地熱の主機はおおむね蒸気タービンです)。家庭のコンセントの向こうで、いまこの瞬間も、19世紀末にニューカッスルで設計された機械の子孫が、毎分数千回転で回り続けていることになります。

「もしも」の問い

もしパーソンズが、観艦式に乱入しなかったら――。 タービン船の採用は数年遅れ、ドレッドノート級の登場も、20世紀前半の海軍力バランスも、いまとは違う形になっていたかもしれません。

特許#6,735は、発電機としては静かに普及し得たでしょう。しかし、世界に「タービンは速い」と一瞬で印象づけたのは、明らかにあの34ノットの疾走でした。技術はしばしば、正確な数字や論文ではなく、ひとつの強烈な絵によって時代に届きます。許可を取らずに艦隊のあいだを駆け抜けた小型船――それが、20世紀の動力革命の入口に置かれた、ひとつの「絵」でした。

特許を出すこと、機械を作ること、そして、世界にそれを見せる方法を考えること。 パーソンズは、その三つをひと続きの仕事として引き受けた技術者だったように見えます。


参考・出典

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