もしも研究所

パスツールの低温殺菌特許 ――1865年、ワインを救った加熱が牛乳を変えた

特許博物館 · 2026-06-04 · 約3,500字 · 約9分

樽の中で、ワインが静かに酸っぱくなっていく。 その小さな異変を覗き込んだ化学者がいた——。

1. 酸っぱくなるワイン、自然発生説の壁

19世紀半ばのフランスでは、ワインやビールが「気づくと酸っぱくなっている」という現象が、産業全体の悩みの種だったと伝えられます。樽詰めの段階では問題なく仕上がったはずの酒が、輸送や貯蔵のあいだに風味を失い、ときに飲めないものに変わっていく。原因がわからないまま捨てられる酒の量は、地方の小さな醸造家にとっては死活問題で、国全体で見ても無視できない損失だったとされます。

1856年、当時フランス北部のリール大学で理学部長を務めていたルイ・パスツール(Louis Pasteur, 1822-1895)は、地元のビート酒(テンサイを原料とするアルコール飲料)メーカーから「うまく発酵が進まないバットがある」と相談を持ち込まれます。化学者として結晶構造の研究で名を成していたパスツールが、発酵という生物学的な現象に本格的に踏み込んでいく出発点になった出来事だと見られています。

顕微鏡で発酵中の液体を覗いた彼は、健全に発酵しているバットには酵母らしい丸い細胞が、酸っぱく傾いてしまったバットには細長い別の微生物が混じっていることに気づいた、と伝えられます。発酵も腐敗も、空気中から自然に発生する「何か」ではなく、特定の微生物のしわざではないか——その仮説は、当時主流だった「自然発生説」と真っ向からぶつかるものでした。

自然発生説とは、肉のスープを置いておけば自然にウジが湧く、というような考え方を、19世紀的に洗練させたものです。科学アカデミー(アカデミー・デ・シアンス)の中にも擁護者は多く、論争は学術的な体面をかけた一大イベントになっていきます。パスツールはこの論争で、1862年に科学アカデミーのアリュンベール賞を受賞したとされ、1864年4月7日にはパリのソルボンヌ大学で一般向けの講演を行ったと伝わります。その場で示された有名な実験が、首をS字に細く引き伸ばした、いわゆる「白鳥の首フラスコ」です。

煮沸して滅菌した肉汁を、白鳥の首のように曲げたガラス管のついたフラスコに入れておくと、空気は出入りできるのに、塵や微生物は曲がった首の途中に落ちて液面まで届かない。結果として液はいつまでも腐らない——一方、首を折ってしまえばすぐに腐敗が始まる。この比較で、彼は「腐敗の原因は空気そのものではなく、空気中に運ばれてくる微生物だ」と主張したとされます。

2. 白鳥首フラスコと、1865年の特許

ワインの酸敗問題に話を戻します。腐敗が微生物のしわざなら、その微生物を殺してしまえばよい。ただし、ワインそのものは生かしておきたい。沸騰させてしまえばアルコールも香気成分も飛び、別物になってしまいます。パスツールは、生かす温度と殺す温度のあいだに、ほんの細い帯があると見ていたようです。

1864年から65年にかけて行われたワインの加熱実験で、彼は 50〜60℃程度で数分間 という、ごく穏やかな加熱だけでも、酸敗を引き起こす微生物を不活化できると報告したと伝わります。風味はほとんど損なわれず、保存性だけが大きく改善する。この発見は当時の醸造家にとって、革命的な実用知だったとされます。

そして 1865年4月11日、彼は「ワインの保存処理法」に関する仏特許(特許番号 #66,602 とされる)を取得 します。発酵や腐敗を起こす微生物を、原料そのものを壊さない温度で短時間加熱して不活化する——のちに彼の名を冠して パスチャライゼーション(pasteurization) と呼ばれることになる手法の、最初の公式な権利化と見られています。

ここで興味深いのは、パスツールが特許を「囲い込み」のために使ったというより、原理を社会に普及させるための後ろ盾として位置づけていたと伝わる点です。ワイン業界はやがて加熱処理を広く採用していき、フランスのワイン産業全体の保存性と輸出競争力を底上げしたと評価されています。彼自身は1866年に『Études sur le vin(ワインに関する研究)』を著し、特許に書ききれない実務知をオープンに残したとも伝えられます。

3. ワインから牛乳へ ――ゾクスレットと公衆衛生

ワインで生まれた低温殺菌は、しばらくのあいだはあくまで「酒の保存技術」でした。これを 牛乳 へ応用する道筋を本格的に提案したのが、ドイツの農芸化学者 フランツ・フォン・ゾクスレット(Franz von Soxhlet, 1848-1926) だったとされます。脂肪抽出装置「ソックスレー抽出器」で知られる彼は、1886年、乳児用の牛乳について「家庭で煮沸ではなく一定温度で加熱する」処理法を提案したと伝わります。

牛乳には、結核菌、ブルセラ菌、サルモネラ、リステリアなど、人間にとって深刻な感染症の原因となる微生物が含まれうることが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて次第に明らかになっていきました。とくに乳児にとって生乳は、栄養源であると同時に高いリスクでもあったと見られます。アメリカやヨーロッパの大都市では、乳児死亡率が現在からは想像しにくい水準にあったと伝えられ、その一因として「都市部に流通する牛乳」が挙げられていました。

低温殺菌の温度・時間条件は、その後の食品工学のなかで体系化されていきます。代表的なのは、LTLT(低温長時間:Low Temperature Long Time)方式で62〜65℃・30分HTST(高温短時間:High Temperature Short Time)方式で72℃・15秒程度、というふたつのレシピだとされます。さらに後年、保存性をぐっと伸ばす UHT(超高温瞬間殺菌:120〜135℃・数秒) が加わり、現在のスーパーに並ぶ牛乳パックの裏面表示まで連なっていきます。

公衆衛生としての本格化を象徴するのが、1908年のアメリカ・シカゴ市 だとされます。シカゴは、市内で販売される牛乳に対してパスチャライゼーションを義務づけた、世界初の都市の一つとして広く知られています。同時期、ニューヨークなどでも乳児死亡率の低減策として低温殺菌の普及運動が進み、20世紀前半を通じて欧米の主要都市に広がっていったと伝わります。

4. 低温殺菌は何を変えたのか

数字でみると、低温殺菌が公衆衛生に与えたインパクトの大きさは際立っています。20世紀初頭、欧米の大都市の乳児死亡率は、出生1,000人あたり100人を超える地域も少なくなかったとされますが、上下水道の整備や予防接種と並んで、牛乳のパスチャライズが乳児死亡率の劇的な低下に寄与した、と複数の公衆衛生史で評価されています。「牛乳がただの食品から、安全な食品になった世紀」と言い換えても大げさではないかもしれません。

パスツールの仕事は、もうひとつ別の遺産も残しました。微生物が病気や腐敗の原因だという「細菌説(germ theory)」の確立です。彼自身はその後、狂犬病ワクチン(1885年)や炭疽病ワクチンの研究へと進み、1888年にはパリに パスツール研究所 が設立されたと伝わります。同研究所は今日に至るまで、感染症研究の世界的拠点であり続けています。

特許という観点から振り返るとき、1865年の#66,602号は、決して派手な発明ではありません。新しい機械でもなければ、新しい化学物質でもない。「ちょっと温めるだけ」というレシピに、近代的な権利が付いたという、それだけの話にも見えます。けれど、その「ちょっと温めるだけ」の背後には、自然発生説との論争、白鳥首フラスコ、リール大学での顕微鏡観察、何百本のバットに対する地味な実験——一人の化学者の、十年近い執念がありました。

「もしも」の問い

もし1865年にこの特許が取られていなかったら——。

ワインの保存性はもう少し遅れて改善されたかもしれません。それでも、技術自体は時間の問題で誰かが見つけていた、という見方も成り立ちます。本当に大きかったのは特許そのものというより、「腐敗には原因があり、それは穏やかな加熱で制御できる」という考え方そのものの普及だった、と見ることもできそうです。

牛乳パックの裏に小さく書かれた「62℃ 30分」「72℃ 15秒」「130℃ 2秒」。私たちが何気なく信頼している数字の列の出発点に、リールの酒蔵で顕微鏡を覗いていた一人の化学者がいる。

熱は、殺すためだけのものではない。生かすために、どのくらいかけるか—— パスツールの特許は、その「ちょうどいい加減」を、世界に渡したのかもしれません。


参考・出典

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