ロンドンの名所を売り続けた男 アーサー・ファーガソン
詐欺師列伝 · 2026-06-19 · 約2,400字 · 約6分
1923年のある日、ロンドンのトラファルガー広場。ひとりのアメリカ人観光客が、ネルソン記念柱を見上げていた。
声をかけてきたのは、身なりのいいスコットランド訛りの男だった。男はしばらく世間話をしたあと、こう切り出したとされる。
「実は、この柱は現在、売りに出されているのです」
男の名は アーサー・ファーガソン(Arthur Furguson、表記揺れあり、1883–1938 とされる)。1920年代のロンドンとアメリカで、国の名所を次々と「売り」あるいは「貸し」、訪問客から多額の金を騙し取ったとされる詐欺師です。
ただし、この話には大きな断り書きが必要です。
ファーガソンが実在したかどうか自体が、いまだに確認されていない のです。
伝説の概要——ネルソン記念柱から自由の女神まで
伝承によれば、ファーガソンは元俳優で、セリフを覚えて演じる能力を詐欺に転用した人物とされています。
1920年代ロンドンでの「実績」として語られるのは以下の通りです。いずれも「売った/貸したとされる逸話」であり、確認できる裁判記録や当時の新聞報道に裏づけられた事実ではない点に注意してください。
- ネルソン記念柱(Trafalgar Square)を 6,000ポンドでアメリカ人観光客に「売却」。「戦時債務の返済のため英国政府が売却する」という名目だったとされる
- ビッグベン(国会議事堂の時計塔)を 1,000ポンドの内金で「売却」
- バッキンガム宮殿を 2,000ポンドの頭金で「売却」
1925年にファーガソンはアメリカに渡り、活動の舞台を移したとされます。
- ホワイトハウスを年払い10万ドルで「賃貸」。テキサスの牧場主が複数回にわたって支払いを続けたとされる
- 自由の女神をオーストラリア人観光客に「売却」しようとしたが、この相手が警察に通報し、逮捕されたとされる
この後、ニューヨークで 5年の懲役を受け、1930年に釈放、1938年にロサンゼルスで死去——という経緯が伝えられています。
史料研究の結論——「記録が存在しない」
伝説の流布は長く続きましたが、2000年代に入って、スコットランドの作家 デーン・ラヴ(Dane Love)が本格的な調査を行いました。著書 The Man Who Sold Nelson's Column(2004年、Luath Press)です。
ラヴが確認したのは、次の事実です。
「逮捕記録がない。裁判記録がない。ニューヨークでの服役記録がない。ロサンゼルスで死亡したとされる1938年前後の死亡記録にも痕跡がない」
つまり、ファーガソンが詐欺師として登場するはずの法的な記録が、1920〜1938年の英米両国のいずれにも見当たらなかったわけです。
ラヴはこう結論づけています——アーサー・ファーガソンは、架空の人物である可能性があると。
Wikipedia英語版の「Arthur Furguson」記事にもこの見解は明記されており、「(ファーガソンの)存在は伝説に過ぎない可能性がある」という趣旨の記述があります(2024年時点で閲覧可能)。
では、この話はどこから来たのか
完全に否定するのも早計です。いくつかの仮説が考えられます。
仮説1: 実在の詐欺師の話が誇張・脚色された
1920年代のロンドンには、観光客を狙った詐欺師が実際に複数存在しました。その誰かの手口が、語り継がれる過程で「ネルソン記念柱を売った男」という鮮明なエピソードとして固定化された可能性があります。
仮説2: ジャーナリストかユーモリストが作った都市伝説
1920〜30年代のアメリカでは、英国人の軽妙さをテーマにした都市伝説が雑誌に多数掲載されていました。ファーガソンの話も、そうした読み物の中に起源を持つ可能性があります。
仮説3: 真に記録が散逸した
当時の拘置記録や移民記録には空白が多く、小規模な詐欺師であれば記録が残らない場合もあります。「記録がない=存在しない」とは言い切れない面もあります。
どれが正解かは、現時点では確認できていません。ただ、少なくとも「ファーガソンが実在した詐欺師である」という前提での断定的な語りは、史料的な裏付けに乏しい状態です。
確かなこと、不確かなこと
整理すると、現時点で言えることは以下の通りです。
| 項目 | 状況 |
|---|---|
| 「ネルソン記念柱を売った」エピソードの存在 | 複数の書籍・記事に記録あり(20世紀後半以降) |
| 逮捕・裁判・服役・死亡の一次記録 | 確認されていない(デーン・ラヴ調査) |
| 同種手口の詐欺師の実在 | 1920年代英米で類似手口の事例は実在する |
| 「ファーガソン」個人の実在 | 確認されていない・架空の可能性あり |
なぜ、この話が繰り返し語られてきたのか
実在が疑わしいとしても、この話が100年にわたって語り継がれてきたこと自体は、否定できない事実です。
ひとつの理由は、手口の「明快さ」にあります。「そのもの自体を売る」という詐欺の構造は、シンプルで直感的です。複雑な金融スキームではなく、誰もが視覚的に「なるほど、そうか」と理解できる。
もうひとつは、被害者像の設定です。「アメリカの金持ち観光客が騙される」というパターンは、英国のユーモアが好む構図でもあります。それ自体が一種の物語テンプレートとして機能してきた可能性があります。
そしてこの点は、The IF Labでこれまで扱ってきた フランク・アバグネイル の事例と共鳴します。アバグネイルの自伝も、後の調査で多くの誇張・改ざんが指摘されています。詐欺師の「物語」は、しばしば詐欺師自身が最もうまく語るか、あるいは語られる過程で都合よく再構成される——。
ファーガソンの場合、その「語り手」すら存在しないかもしれない。にもかかわらず、話は流通し続けました。
史料注記
本記事で参照した資料を記します。
- Arthur Furguson(Wikipedia英語版):実在への疑問を記述した版を参照(複数言語版と照合)
- Dane Love, The Man Who Sold Nelson's Column(2004, Luath Press):逮捕・裁判・死亡記録の不在を報告した一次調査書。著者はスコットランドの歴史家・作家
- 1920年代ロンドンの観光詐欺事例については、英国国立公文書館(The National Archives, Kew)の警察記録類を参照できるが、「ファーガソン」名での一致記録は本稿執筆時点(2026年6月)では未確認
ファーガソンが実在したかどうかは、現時点では「不明」です。それでも、「ネルソン記念柱を売った男」の話は確かに流通し、確かに人々を笑わせ、そして確かに都市伝説の棚に収まっています。
偽物が本物のように語られる——それ自体が、詐欺師列伝にふさわしい結末かもしれません。
The Man Who Sold Nelson's Column(英語・Luath Press)
デーン・ラヴ著(2004年)。アーサー・ファーガソン伝説を徹底調査し、実在への疑問を初めて公式に提起した書。逮捕記録・裁判記録・死亡記録の不在を報告している。
他の書店でも
主な参照
- Wikipedia, "Arthur Furguson"(英語版・2024年版参照、複数言語版と照合)
- Dane Love, The Man Who Sold Nelson's Column (Luath Press, 2004)
- EBSCO Research Starters, "Arthur Furguson"(参考)
- 関連都市伝説の考証として:Jan Harold Brunvand, The Vanishing Hitchhiker: American Urban Legends and Their Meanings (1981, Norton) ——都市伝説の形成と流通に関する基礎文献
本記事は note では公開していない、The IF Lab サイト独占コラムです。
