もしも研究所

海賊船「アドベンチャー号」詐欺 キャプテン・キッド ――義賊か犯罪者か、17世紀大西洋の最大の謎

歴史のあやまち · 2026-10-16 · 約2,152字 · 約4分

絞首台の上の船長

1701年5月23日、ロンドンのウォッピングの処刑場で、ウィリアム・キッド船長が絞首刑に処された。

処刑に際して皮肉な出来事が起きた。一度目の縄が切れたのだ。二度目の縄でようやく処刑が完了した。その後、彼の遺体はロンドン橋近くのテムズ川沿いに鎖で吊るされ、他の海賊たちへの見せしめとされた。

「キャプテン・キッド」こと、スコットランド出身のウィリアム・キッドは、歴史上最も有名な「海賊」のひとりだ。しかし彼が本当に「海賊」だったのかどうかは、300年以上にわたって議論が続く問いだ。


私掠船と海賊の境界線

17世紀後半の大西洋・インド洋では、「私掠船(Privateer)」という存在が重要な役割を果たしていた。

私掠船とは、国家から「敵国の船を攻撃する権限」を与えられた民間の武装船だ。「私掠許可状(Letter of Marque)」があれば、敵国の商船を略奪することは合法だった。

ウィリアム・キッドは1695年にイギリス政府(バッキンガム公・ベリモント伯などの有力者が投資家として関与)から私掠許可状を得て、「海賊および フランス船の拿捕」を目的として「アドベンチャー・ギャレー号」で出航した。

問題は、「この活動がどこで私掠から海賊に変わるのか」という境界線だ。

この境界線は現代の法律感覚で見ると奇妙に曖昧だ。17世紀の国際法は未発達であり、「誰の旗を持つ船を攻撃していいか」の定義は政治情勢によって変わった。キッドが出航した時点では合法だった行為が、帰国する頃には「海賊行為」として訴追の対象になっているという状況は、当時珍しくなかった。


インド洋での事件

キッドのインド洋での行動は、後に彼が裁判にかけられる主要な根拠となった。

1697〜1698年、乗組員の反乱的な不満、資金不足、成果の出ない任務の中で、キッドはムガル帝国の船を攻撃したとされる。特に問題となったのは1698年のクウェダー・マーチャント号(Quedagh Merchant)の拿捕だ。この船はフランスの私掠許可状を持っていたとされ、キッドはそれを根拠に「合法的な拿捕」と主張した。

しかし乗組員の多くはすでに「事実上の海賊行為」に従事しており、帰国時にキッドは「海賊の首領」として指名手配されていた。

さらに、キッドが航海中に乗組員のひとりウィリアム・ムーアを鉄のバケツで殴り死亡させた事件もあった。これが「殺人」として追加起訴された。キッドは「反乱を起こした乗組員を制御するために必要だった」と主張したが、受け入れられなかった。


裁判の問題点

1700年にキッドがイギリスに帰国すると、彼はすぐに逮捕された。

裁判での決定的な問題は、「クウェダー・マーチャント号のフランス私掠許可状」が証拠として提出されなかったことだ。このフランス許可状があれば、キッドの主張「合法的な拿捕だった」が支持されうる。

この文書がなぜ裁判に出てこなかったのか——その理由については諸説ある。投資家だった貴族たちがスキャンダルを恐れて隠蔽したという説、書類が紛失したという説などだ。

20世紀に入って、関連文書の探索が行われ、1911年にはキッドの弁護のために提出された「フランス許可状」のコピーが英国公文書館で発見されたという報告がある。もしこれが本物であれば、彼の裁判は「証拠の隠蔽によって不当に行われた」という解釈が成立する。


埋蔵金伝説

キャプテン・キッドの名を現在も生き続けさせている最大の要因は、「埋蔵金」の伝説だ。

「キッドがどこかに莫大な財宝を埋めた」という話は、18世紀から流布した。この伝説を題材に、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが1883年に『宝島(Treasure Island)』を書いたとも言われる(実際にはこの説の根拠は曖昧で、別の海賊エドワード・ティーチ=「黒ひげ」がモデルという説もある)。

埋蔵金探索は20世紀に入っても行われた。キッドがガーデナーズ島(ニューヨーク州)に一部の財宝を埋めたことは史実として確認されており、それは逮捕後に回収された。しかし「インド洋での略奪品のその後」については、現在も謎のままだ。

なぜ「埋蔵金伝説」がこれほど人々を惹きつけるのか。それは「見つかっていない財宝=まだ手が届く」という希望を提供するからだ。実際には財宝がないとしても、「あるかもしれない」という物語の力は強い。18世紀の新聞記事から始まった「キッドの宝」の話は、300年後も探索者を引き寄せている。


「もしも」の視点: 義賊か犯罪者か

キャプテン・キッドの物語が持つ普遍的な魅力の核心は、「誰が海賊を定義するのか」という問いだ。

私掠船と海賊の違いは許可状一枚だった。その許可状の正当性、拿捕した船の国籍証明、乗組員の意向——これらが絡み合う中で、キッドは「海賊」の烙印を押された。

もしも投資家だった貴族たちが彼を守ろうとし、証拠を隠蔽しなかったとしたら——キッドは「合法的な私掠船長」として帰国し、その後の生涯を別の形で送っていたかもしれない。

歴史において、「誰が犯罪者と定義されるか」は、しばしば権力者の都合で決まる。キャプテン・キッドの話は、その最もドラマチックな例のひとつかもしれない。

この記事をシェア

𝕏💬 LINE📑 はてB
SPONSORED
Amazon (もしもアフィリエイト)
SPONSORED
楽天ひかり楽天カード
SPONSORED
サンプル百貨店(お試し通販)アソビュー(遊び・体験予約)