コペルニクス 印刷直後の死 自著を握りしめた70歳
歴史のあやまち · 2026-06-29 · 約1,226字 · 約2分
1543年5月24日、ポーランド北部のフロンボルク(当時の呼称はフラウエンブルク)。
70歳の聖堂参事会員(カノン)が、自宅の寝室で意識を失いつつあった、と伝えられます。 そのとき、彼の枕元に 完成したばかりの自著の印刷見本 が届けられた—— 彼はその表紙に手を触れ、間もなく息を引き取ったと、後世の伝記は記録しています。
名はニコラウス・コペルニクス、職業は聖堂参事会員、医師、行政官、そして——余暇の天文学者。 書名は『天球の回転について(De revolutionibus orbium coelestium)』。 地球が太陽の周りを回ると主張した、近代天文学の出発点とされる本です。
ただ「印刷見本を握って死んだ」という逸話そのものは、本人の証言ではなく、後世の ティーデマン・ギーゼ ら同時代人の手紙、および16世紀末以降の伝記に基づいています。 劇的すぎるがゆえに、編集部としては少し慎重に扱いたいシーンでもあります。
1. 聖職者であり、天文学者であった男
コペルニクスは1473年、ポーランド王国(当時)のトルンに生まれました。 父は商人、母は地元の有力家系。 10歳で父を亡くしたあと、母方の伯父であり後にヴァルミア司教となる ルーカス・ヴァッツェンローデ に育てられます。
伯父の支援で、コペルニクスはクラクフ大学、ボローニャ大学、パドヴァ大学、フェラーラ大学で学びました。 専攻は教会法と医学。 1503年、フェラーラで教会法の博士号を取得して帰国します。
帰国後の彼は、伯父の差配で ヴァルミア司教区の聖堂参事会員 という地位を得ました。 これは終身の聖職禄付きポストで、生活基盤を保証されつつ、自由な研究時間を持てる 立場です。 コペルニクスはここで医師としても働き、司教区の行政・財務にも携わりつつ、空いた時間を天文学に注ぎました。
——ちなみに、当時のヨーロッパで「自由に研究できる立場」は、貴族・聖職者・宮廷お抱えのどれかにほぼ限られていました。コペルニクスが聖職者でなかったら、そもそも『天球の回転について』が書かれた保証はありません。これは当研究所内で何度か議論になった点です。
2. 30年抱え続けた仮説
コペルニクスが「地球が動く」という仮説に到達した正確な時期は、はっきりしません。 1510年代前半には、すでに『コメンタリオルス(Commentariolus)』という小論を一部の友人に手渡していたとされます。 これは『天球の回転について』の前身となる、手書きの非公式メモ のような文書でした。
このメモの段階で、彼の主張の核は出来上がっていたとされます。 すなわち—— (1) 宇宙の中心は地球ではなく、太陽である。 (2) 地球は1年で太陽の周りを回り、24時間で自転する。 (3) 他の惑星も太陽の周りを回る。
これは当時の常識(地球を中心とするプトレマイオス体系)を真っ向から覆す主張です。
