電話特許、数時間の差
特許博物館 · 2026-05-20 · 約2,400字 · 約5分
1876年2月14日、ワシントンD.C.の 米国特許庁(現USPTO)。バレンタインデーのその朝、二つの書類が、ほぼ同時に提出されました。
ひとつは、アレクサンダー・グラハム・ベル(29歳)の代理人マルセラス・ベイリーが提出した、「Improvement in Telegraphy」(電信の改良)と題された特許出願。
もうひとつは、イライシャ・グレイ(40歳・電気技術者)の代理人による、「Transmitting Vocal Sounds Telegraphically」(電信による音声伝送)と題された コーヴィエート(caveat / 予備出願書)。
差はわずか数時間、と伝えられます。そしてこの数時間が、後の 20世紀の通信インフラの所有権 を分けることになりました。
本稿では、確定している記録と、150年にわたって繰り返されてきた真贋論争を並べてみます。
コーヴィエートと正式出願の違い
まず、当時の米国特許制度を簡単に確認しておきます。
19世紀の米国特許庁には、コーヴィエート制度 という、現在の暫定出願に近い仕組みがありました。これは「まだ完成していないが、これから完成させる予定の発明 を予告しておき、他者の出願を一定期間ブロックする」ための、軽い書類です。期間はおおむね90日。正式な特許権の付与は、コーヴィエートでは行われません。
これに対し、ベルが提出したのは 正式な特許出願 でした。同じ日に提出された二つの書類は、形式的にはまったく 別のカテゴリーの書類 だった、ということになります。
そして、この日の特許庁の受付記録によれば、ベルの出願は5番目、グレイのコーヴィエートは39番目に登録された、と伝えられています。受付時点ですでに、両者は前後関係に並んでいた。
ただ、ここから先は単純ではありません。
特許番号174,465号
ベルの出願は、わずか3週間で審査を通過し、1876年3月7日、米国特許番号 174,465 として登録されました。
タイトルは「Improvement in Telegraphy」、内容は「電気的な揺らぎ(electrical undulations) を、空気の振動と同じ形状で発生させ、音声を電線で伝送する装置と方法」、というものです。
この特許番号174,465は、後年「史上最も価値のある単一特許」と評されることになります。これを基礎にして設立されたベル電話会社(後のAT&T)は、米国通信インフラを20世紀を通じて寡占的に支配し、独占禁止法による分割(1984年)まで、約100年間にわたって電話事業の中核に居座り続けました。
数時間の差で渡らなかったとしたら——その世界線では、グレイ電話会社、あるいはグレイの代理権を買い取った別資本の電話事業者が、同じ地位を占めていたかもしれません。
グレイ側の主張と、150年の論争
ここから先は、ベル・グレイ電話論争(Bell-Gray telephone controversy)と呼ばれる、長い真贋論争の領域に入ります。
グレイ側、およびその後の擁護論者の主張を要約すると、おおむね以下の3点に集約されます(諸説あります)。
- 技術的な核心——音声を電気信号に変換する 液体可変抵抗器(liquid variable resistor)の構造は、グレイが先に着想していた可能性がある
- 当日の出願時刻——ベルの代理人が、特許庁内部でグレイのコーヴィエートを「見た」のではないかという疑念が、当時から繰り返し提起されてきた
- 特許審査官の便宜——特許庁の審査官ゼナス・ファウラー・ウィルバーが、後年「ベル側の代理人にグレイの書類を見せた」と複数回証言した、とされる記録がある
これらに対するベル側、および公的記録の整理を要約すると、
- ベルは数年前から音声電信の研究を進めており、独自の研究ノートと実験記録を残している(現在は 米国議会図書館 にBell Papersとして保管・公開)
- ウィルバーの後年の証言は、本人がアルコール依存と経済的困窮の状態で行われたもので、信頼性は限定的とされる
- 当時の連邦最高裁は、ベル特許の有効性を 複数回の訴訟を経て繰り返し支持 している(1888年最高裁判決ほか)
——となります。つまり、技術史的にも法的にも、ベルの特許権の正統性は 正式には維持され続けている 一方で、グレイ側の貢献に関する一定の疑念は、150年経ったいまも完全には消えていない、というのが現状です。
「数時間の差」の本当の意味
ここからは、編集部の見立てです。
仮にウィルバー審査官の証言が大筋で正しかったとしても、それは「ベルがグレイの発明を完全に盗作した」ことを意味するわけではありません。ベルとグレイは、それぞれ独立に 音声電信の可能性 を追っていた研究者で、当時、同種のアイデアは欧米の複数の研究室で並行して試されていました。技術史的には、電話の発明は 同時多発的に近づきつつあった 領域だった——と捉えるのが、現代の科学史家の標準的な整理です。
その意味で、1876年2月14日の数時間の差は、「天才が凡人を出し抜いた瞬間」 というよりは、「並行する研究の山が、行政手続き上の前後関係で序列化された瞬間」と読むほうが、より正確かもしれません。
そしてその序列化が、その後100年の米国通信インフラの所有権を決め、結果としてAT&Tという巨大企業の100年の隆盛を準備した——。この解釈が妥当だとすれば、特許制度というのは、技術そのものではなく、技術の所有権の境界線を引く制度だ、という基本に戻って読むと、この事件はその制度の本質をきわめて純粋に体現した事例だ、と言えそうです。
自著と検証本で「特許史の現場」を覗く
ベルの伝記と、グレイ側からの検証本を読み比べると、「同じ日の数時間」の解釈が、立場によってどう変わるかが分かります。
グラハム・ベル空白の12日間の謎 ——今明かされる電話誕生の秘話
セス・シュルマン著・吉田三知世訳(日経BP社)。原題 The Telephone Gambit。1876年2月のベルの研究ノートに残る「12日間の空白」を手がかりに、グレイ・コーヴィエート閲覧疑惑を再検証したノンフィクション。技術史と訴訟史の両面で、いまも参照される一冊。
地上最大の企業 AT&T解体の内幕
スティーブ・コール著・奥村皓一監訳。1876年のベル特許から100年後、1984年の独占禁止法による分割劇までを描いた長編ノンフィクション。「数時間の差」で渡った特許が、世紀単位の企業帝国をどう作り、どう解体されたかが分かる。
他の書店でも
🌀 もしも、グレイがあと数時間早く特許庁に着いていたら?
20世紀の米国通信インフラは、AT&Tではなく、グレイの後継会社が握っていたかもしれません。あるいは——技術史でしばしば指摘される通り——ベル・グレイ両者の特許は同程度の権利範囲で並立し、米国電話事業は より分散的な競争市場 からスタートしていたかもしれません。その世界線では、独占禁止法による分割(1984年)も、起きていなかったかもしれない、という見方すらできます。
数時間の差は、しばしば、世紀単位の構造を作ります。
主な参照
- US Patent No. 174,465(1876年3月7日付・"Improvement in Telegraphy"・Alexander Graham Bell)
- Seth Shulman, The Telephone Gambit: Chasing Alexander Graham Bell's Secret(2008 / 邦訳『グラハム・ベル空白の12日間の謎』日経BP社)
- Library of Congress, Alexander Graham Bell Family Papers(議会図書館・電子アーカイブ公開)
- en.wikipedia.org/wiki/Elisha_Gray_and_Alexander_Bell_telephone_controversy(参考・複数言語版を照合)
本記事は note では公開していない、The IF Lab サイト独占コラムです。
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