もしも研究所

もし人間が痛みを感じなかったら — それは「実在する」、そして過酷だ

もしも時間 · 2026-06-05 · 約4,000字 · 約8分

「痛みの無い人生」は、すでに実在する

痛みが無い人生——多くの人が一度は願うかもしれません。けがの痛みも、頭痛も無い世界。けれど、これは想像で語る話ではありません。生まれつき痛みを感じない人は、実在します。

「先天性無痛無汗症(CIPA)」という指定難病があります。日本での患者数はおよそ130〜210名、有病率は60〜95万人に1人とされる、きわめてまれな遺伝性疾患です。原因はNTRK1という遺伝子の変異で、痛みや温度を伝える神経が働かない。彼らの人生を知ると、「痛みが無い」が祝福どころか、いかに過酷かが見えてきます。

痛みは、生き延びるための「警報」だった

まず科学を正確に。Encyclopædia Britannica によれば、痛みは「侵害受容(nociception)」という、体に有害な刺激を感知する仕組みに支えられた感覚です。熱いものに触れれば手を引き、傷が痛めば動かさずに守る。痛みは不快であると同時に、私たちに危険を避けさせ、体を休ませる警報装置として進化しました。

問題は、その警報が鳴らない体で何が起きるか、です。

無痛症の現実:気づけないから、壊れていく

CIPAの患者に報告されているのは、たとえばこうした事態です。自分の指や舌を噛みちぎってしまう自傷。痛くないので止まらない。骨折や脱臼に気づかず動き続け、関節が壊れていく。やけどや角膜の傷、内臓の異常も警報が鳴らないまま進む。汗をかけないため体温調節も難しく、感染症にもかかりやすい。

そして予後は重い。適切な管理がなければ10代での死亡率が高いとされ、主な死因は感染症・骨折・自己損傷です(軽症例では成人期、65〜70歳まで生きる人もいます)。

無痛症へ至る遺伝子の道は、CIPAだけではありません。2006年、医学誌 Nature に、パキスタン北部の三つの家系についての報告が載りました。SCN9A という遺伝子が壊れ、痛みを伝えるナトリウムチャネル「Nav1.7」が働かない人たち。触覚も温度も分かるのに、痛みだけをまるごと感じない。報告の中心にいたのは、腕にナイフを突き刺し、熱した炭の上を歩く芸で日銭を稼いでいた少年でした。痛くないから、できてしまう。その少年は、14歳の誕生日に、屋根から飛び降りて亡くなったと記されています。痛みという警報が、最後まで一度も鳴らなかった。

ここから分かるのは、たった一つの事実です。痛みが無いとは、危険が消えることではなく、危険が「見えなくなる」こと。痛みは、私たちが無意識に体を守るための、いちばん基本的なセンサーでした。

それは、まれな難病だけの話ではない

「痛みを失った体に何が起きるか」を、人類はまれな難病だけでなく、もっと大きな規模でも観測してきました。

かつて「体が朽ちていく病」と恐れられたハンセン病がその一つです。20世紀半ば、この病を長く診た外科医ポール・ブランドは、意外な事実に行き着きます。指や足が失われていくのは、菌が肉を直接溶かすからではない。菌が末梢の神経を侵し、痛みの感覚を奪う——その結果、患者は傷ややけどに気づけず、小さな損傷が積み重なって組織が失われていく。破壊の主犯は病原体そのものではなく、「痛みの不在」のほうだった。この理解は、痛みが体を守る装置なのだという見方を決定づける、医学の転機になりました。

そして同じことは、いまの私たちのすぐ隣でも起きています。糖尿病が進むと、足先から順に感覚が鈍る「手袋・靴下型」の神経障害が現れる。靴擦れや小さな傷が痛まないまま悪化し、潰瘍になる。糖尿病の足潰瘍のおよそ9割に、この感覚の低下が関わっているとされ、外傷によらない足の切断の最大の原因が、この「痛みを感じない足」です。痛みが消えることは、遠い難病だけの話ではなく、警報を失った体がどう壊れていくかの、ごく身近な実演でもあるのです。

もし人類全員がそうなったら:まず「日常」が壊れる

では、ばかばかしさを承知で、人類全員が痛みを失ったらと真面目に詰めてみます。最初に壊れるのは、英雄的な場面ではなく、ありふれた日常です。

熱い鍋を握ったまま離さず、手のひらが焼ける。虫歯は痛まないので神経まで達してから気づく。捻挫した足で走り続け、関節を砕く。盲腸炎の「右下腹部の激痛」という受診のサインが消え、手遅れになる。医療の現場は、患者を病院へ向かわせる最大のトリガー=痛みを失い、「気づいたときには重症」が当たり前になります。痛くない世界の救急医療は、今よりずっと後手に回るのです。

痛みは、倫理と共感の土台でもあった

痛みが支えていたのは、体だけではありません。私たちの社会は「痛みは避けるべきもの」という共通感覚の上に立っています。暴力が悪いのは相手を痛めるから。やさしさが尊いのは相手の痛みを思いやるから。

しかも興味深いことに、「心の痛み」と「体の痛み」は、脳の一部で重なって処理されるという研究があります。仲間外れのつらさが、文字どおり「痛い」と感じられるのはそのためだとされる。もし痛みを一度も知らなければ、他人の痛みを想像する手がかりごと失われる。痛みは、自分を守るだけでなく、人と人を「つらさ」でつなぐ共感の根でもあったのです。

痛みは「スイッチ」ではなく「ダイヤル」

ここまで「痛みがある/ない」の二択で話してきました。でも、体の設計はそんなに単純ではありません。さきほど出てきた Nav1.7 という一つのチャネルは、いわば痛みの「音量つまみ」に近い。それが働かなければ、痛みは丸ごと消える。ところが逆に、それが過敏になる変異を持つ人たちもいます。原発性紅痛症(こうつうしょう、erythromelalgia)——少しの温もりや軽い運動が、手足を焼かれるような激痛に変わる病で、「燃える人(man on fire)」とも呼ばれます。

同じたった一つの遺伝子の、こちら側の端と、あちら側の端。片方では痛みがまったく鳴らず、もう片方では鳴りっぱなしになる。痛みは、あるか無いかのスイッチではなく、強すぎても弱すぎても命に関わる、繊細なダイヤルだったのです。だとすれば「痛みが無かったら」という問いの本当の答えは、たぶん「無い方がいい/悪い」ではなく、「どこに合わせるのが正しいのか」なのでしょう。

もうひとつのシナリオ — 痛みは「消す」より「調節」

ならば、望みは痛みをゼロにすることではなく、「つまみを適切なところに合わせる」ことになります。危険を知らせる最小限の警報は残し、耐えがたい激痛だけをやわらげる。実際、医療が目指しているのはまさにこれ——痛みの根絶ではなく、適切なコントロールです。

そしてこの発想は、いまや現実の薬になりつつあります。2025年には、痛みの伝導路(Nav1.7の近縁である Nav1.8 というチャネル)を、脳ではなく末梢の痛みの入り口でだけ抑える、新しいタイプの鎮痛薬が承認されました。依存性の強い麻薬性鎮痛薬に頼らず、体が発する警報の音量だけを絞ろうという試みです。痛みを消し去るのではなく、痛みの仕組みを逆手にとって、ちょうどいい大きさに整える。痛みは消すべき敵ではなく、つき合い方を学ぶべき相棒なのだと、無痛症の過酷さも、紅痛症の激痛も、そろって同じ方向を指し示しています。

結び — 痛いからこそ、守られている

痛みの無い世界を本気で詰めると、最後に残るのは「痛みは敵ではなかった」という事実でした。それは体を守る警報であり、無理を止めるブレーキであり、他者を思いやる共感の根。つらくて、できれば消したいもの。けれどその痛みこそが、私たちを生かし、つないできた。

次にどこかが痛んだら、それを疎ましく思う前に——体が嘘をつかずに発してくれている「守ろうとする声」に、少しだけ耳を傾けてみてください。


🌀 もしも問いかけ もし痛みを一度も感じなければ、あなたは他人の痛みを想像できるでしょうか。つらい感覚は、もしかすると人をつなぐための装置なのかもしれません。 The IF Lab は、そんな「選ばれなかった道」を考える場所です。


主な参照

本記事は痛みという感覚についての一般的な解説であり、特定の症状に対する診断・治療の助言ではありません。CIPA・SCN9A無痛症・ハンセン病と糖尿病性神経障害・紅痛症・新規鎮痛薬は、公開された研究・統計・公表情報に基づく事実です。「もし人類全員が痛みを失ったら」以降の社会的な帰結は思考実験であり、数値は条件によって変わります。

この記事をシェア

𝕏💬 LINE📑 はてB
SPONSORED
Amazon (もしもアフィリエイト)
SPONSORED
楽天ひかり楽天カード
SPONSORED
ハリー・ポッター駅探(おでかけ・レジャー割引)