存在しない国の王子 グレゴール・マグレガー
詐欺師列伝 · 2026-06-19 · 約2,500字 · 約5分
1822年の秋、スコットランドのエディンバラとロンドンの銀行街で、ある国の国債が売り出されました。
発行体は「ポヤイス(Poyais)国」——中米のホンジュラス沖、蚊帳海岸(Mosquito Shore)に位置する肥沃な土地で、民主的な議会を持ち、首都セント・ジョセフには2万人が暮らしているとされていました。国債の利率は6%。当時のロンドン市場でこれは魅力的な水準でした。
国債と同時に、移民向けの 土地証書 も販売されました。ポヤイス国内の農地を購入できる権利書で、「一年に三度トウモロコシが収穫できる」「川に金の粒が流れている」という売り文句とともに売られました。
そしてポヤイス国の代表者——「ポヤイスの大酋長(Cazique of Poyais)」を名乗る人物が、このすべての仕掛けの中心にいました。グレゴール・マグレガー(Gregor MacGregor、1786年12月24日-1845年12月4日)、スコットランド出身の元軍人です。
マグレガーという人物
マグレガーはスコットランドのスターリングシャー生まれで、1803年にイギリス陸軍に入隊し、半島戦争(対ナポレオン戦争)に参加した記録があります。1810年以降は南米に渡り、ベネズエラ・コロンビアの独立戦争にシモン・ボリバルの将軍として加わりました。1816年にはベネズエラ北部でのゲリラ戦を指揮し、数週間にわたる撤退を率いたことが、当時の軍記録にも残っています。
南米での戦歴は本物でした。それがのちの詐欺の基盤になります。
1820年、マグレガーはホンジュラスのモスキート海岸を訪問しました。現地のモスキート王国を統治していた王、ジョージ・フレデリック・アウグストゥスから、広大な土地の使用権を得たと主張する書類を持ち帰りました(しばしば「800万エーカー規模」と語られますが、面積の数字は資料によって幅があります)。この書類が実際に交わされたものかどうかは、後世の研究でも確認が難しい部分が残っています。少なくとも「大規模な土地権が与えられた」という記録は、当時の英国外交文書にも明確には残っておらず、主にマグレガー本人の主張に依拠しています。
355ページの「国家案内書」
1821年にロンドンに戻ったマグレガーは、ポヤイスの「現実」を作り上げる作業を始めます。
まず刊行されたのが、1822年に出版された 『蚊帳海岸の素描(Sketch of the Mosquito Shore)』 という355ページの書物です。著者は「トマス・ストレンジウェイズ大尉」とされていましたが、後の研究ではマグレガー自身が書いたか、代筆させた可能性が高いとされています(一次資料として英国議会図書館・米国議会図書館に所蔵されており、archive.orgでも閲覧可能)。
この本には、ポヤイスの詳細な地図、農業の季節、法律文書、首都セント・ジョセフの風景描写が盛り込まれていました。「砂糖、タバコ、インディゴが半野生状態で育っている」「1日の漁で1週間分の食料が得られる」という記述があり、移民希望者向けの土地事務所がロンドンに開設されました。
さらにマグレガーは、ポヤイス国の紙幣 まで印刷しています。「ポヤイスドル」と呼ばれたこの通貨は、移民者がイギリス通貨と交換して現地で使う想定でした。
1822年10月、ロンドンの銀行家サー・ジョン・ペリング(Sir John Perring)の銀行が、20万ポンドの国債引き受けを担当 しました(利率6%)。これは現在の貨幣価値に換算すると数百億円規模に相当するとされますが、当時の購買力を正確に比較することは困難です。「ロンドン市場で発行された国債」という事実は、当時の新聞と金融記録から確認されています。
船が出港した
1822年9月、ロンドンから最初の移民船 「ホンジュラス・パケット号」 が出港しました。乗客は約70名。スコットランドとイングランドの農夫、職人、医師など、土地証書を持った移民たちでした。
そして同年1月(1823年1月22日)、追加の移民を乗せた 「ケナーズリー・キャッスル号」 がリースを出港。こちらの乗客も約200名でした。
両船の乗客を合わせると、ポヤイスに向けて出発した移民は 約250人 に達したと推定されています(研究者によって数字に若干の差があります)。
現地にあったもの
最初の船が蚊帳海岸に到着したのは1822年11月でした。
セント・ジョセフはなかった。2万人の市民も、劇場も、舗装道路も——何もなかった。あったのは、ジャングルと、原住民の集落と、かつて入植を試みた別グループが残した廃屋数棟だけでした。
移民たちは上陸を余儀なくされました。準備していたポヤイスドルの紙幣は現地では何の役にも立ちません。食料は急速に尽き、マラリアや黄熱病が蔓延し始めました。
その後、生存者たちは救助され、一部はイギリスへ帰還しました。約250人が渡航し、その多くが病気や飢餓で命を落とした ことは確かですが、最終的な生還者数は資料によって差があり、亡くなった人数を「少なくとも180人前後」とする記録もあります。帰港した生存者の証言から、新聞が一斉にポヤイスの実態を報じることになりました。
詐欺師は逃げ、また仕掛けた
移民の死亡が明らかになったとき、マグレガーはすでに英国を離れていました。
1825年にパリで新たな「ポヤイス国債」発行を試みたところで逮捕されました。1826年、フランスの裁判所で詐欺罪の裁判が開かれましたが、マグレガー本人は無罪 となり、共犯者の一人だけが有罪判決を受けました。
釈放されたマグレガーは英国に戻り、1827年以降も規模を縮小したポヤイス関連の詐欺を散発的に続けたとされています。1838年にベネズエラに移住し、独立戦争時の功績を認められてベネズエラ市民権を得、軍の名誉職を与えられました。そして1845年12月4日、カラカスで死去しました。
なお、ポヤイスで亡くなった移民の遺族から、マグレガーへの賠償請求が記録に残っているかどうかは、公開されている資料では確認できていません。
なぜロンドン市場は信じたのか
この詐欺が成立した背景として、歴史研究者がしばしば挙げるのは、1820年代のロンドン金融市場の特殊な状況 です。
ナポレオン戦争が終結した1815年以降、英国の資本は海外の新興国家——独立したばかりの南米諸国——へと向かい始めていました。コロンビア、チリ、ブラジル、グアテマラなどの国債が次々とロンドン市場で発行された時期です。これらのほとんどは実際に存在する国でしたが、遠すぎて実地確認が困難であることも共通していました。
投資家の多くはその国に行ったことがない。マグレガーは、そのギャップを利用しました。
また、彼が南米独立戦争の実績ある将軍だったことは、信用の裏付けとして機能しました。架空の国を売るためには、詐欺師自身が偽物である必要はない——本物の経歴を持つ人間が、偽物の「国」を作った、というのがこの案件の特徴です。
「近代最大の国家詐欺」
ポヤイス詐欺はしばしば「近代史上最大の国家詐欺」と呼ばれます。ただしこの表現を使う文脈は大衆向けのものが多く、定量的な比較根拠が明示されることは少ないため、最上級の修飾語として受け取るより、「19世紀前半を代表する国家偽装詐欺の事例」と読む方が正確かもしれません。
記録として残っているのは、約250人の移民が出発し、その多くが命を落とした(亡くなった人数を180人前後とする記録もあります)という事実です。その死は、投資家が損をした話と同じ事件の中にあります。しかし記録の重さは、失われた財産と失われた命とでは、明らかに違う種類のものです。
国債の購入者は証書だけを失いました。移民の土地証書購入者は、命を失いました。
同じ一人の人間が発行した二種類の「証書」——その重みの差が、この詐欺を200年後の現在も語り継がせている理由のひとつかもしれません。
詐欺師列伝——騙しの天才たち(東洋経済新報社)
古今東西の詐欺事件を取り上げた概説書。ポヤイス詐欺やポンジ事件など19〜20世紀の主要案件を収録。一次資料の引用ではなく、入門として位置づけて参照のこと。
他の書店でも
主な参照
- Wikipedia EN: "Gregor MacGregor"(複数言語版を照合・2026年6月時点)
- Wikipedia EN: "Poyais"(2026年6月時点)
- Thomas Strangeways(attributed to Gregor MacGregor), Sketch of the Mosquito Shore (1822)——英国議会図書館・米国議会図書館所蔵。archive.org で閲覧可能
- Marek Wawrzyniak, "What's in a Fraud? The Many Worlds of Gregor MacGregor, 1817–1824," Project MUSE / Oxford University Research Archive (ORA)
- Clavel, "Beyond the Fraudulent Man: Opening the Black-Box of Poyais 1820–1823," University of Pennsylvania (PEHF conference paper)
- The Times (London), October 1823——移民生還時の報道(British Newspaper Archive 所蔵)
- Britannica: "The Craziest Scam: Gregor MacGregor Creates His Own Country"(参考)
本記事は note では公開していない、The IF Lab サイト独占コラムです。
