もしも、赤壁の戦いで曹操が勝っていたら?
もしも時間 · 2026-06-02 · 約3,600字 · 約7分
後漢・建安13年(西暦208年)、冬。
長江中流域、赤壁。
華北をほぼ平定した 曹操 は、その年、南方へ大軍を進めます。荊州を治めていた劉表が病没し、その子・劉琮が戦わずして降伏したため、曹操は荊州の地と水軍を手に入れ、さらに長江を下って 孫権 の支配する江東(揚州方面)を狙いました。
これに対し、荊州で曹操に追われていた 劉備 が孫権と結び、孫権配下の 周瑜 らが率いる連合軍が、長江上で曹操軍と対峙します。『三国志』(陳寿撰・西晋成立)とその裴松之注が伝えるところによれば、曹操軍は北方出身で 水上戦に不慣れ であり、加えて陣中に 疫病 が広がっていたとされます。連合軍は 火攻め によって曹操の船団を焼き、曹操は北へ撤退した——これが赤壁の戦いのおおまかな筋です。
ここで一点、はっきり切り分けておきます。『三国志演義』(明代の小説)に描かれる 連環の計・諸葛亮の「借東風」(東南の風を祈り呼ぶ場面)・苦肉の計(黄蓋の偽降に絡む策謀の演出) などの劇的な挿話は、後世の創作・脚色の要素が大きく、史書である『三国志』の記述とは性格が異なります。本記事は、確実な史実(曹操の南下・荊州制圧・疫病・水軍の不慣れ・火攻めによる敗退)を土台に話を進めます。
ここで、本記事の「もしも」を立てます。
もし曹操が赤壁で勝ち、孫権・劉備連合を破って南方を制圧していたら——魏・蜀・呉の三国鼎立も、その後の晋による統一も、その後の中国史は、どう書き直されただろうか?
🌀 The IF Lab 編集部より:
本記事は、史実(曹操が赤壁で敗れ南方統一に失敗した)を踏まえた上で、その勝敗が逆転していたらという限定条件で反実仮想を行います。「劉備が存在しなかった」「孫権が曹操に降伏した」のような前提崩壊型ではありません。あくまで赤壁という一会戦の 勝敗の結果 にだけ手を入れるシナリオです。
1. 実際に起きたこと(史実の確認)
赤壁前後の流れを、最小限に整理します。
208年・荊州制圧まで
- 曹操は、官渡の戦い(200年)で袁紹を破ったのち、華北をほぼ平定
- 208年、丞相に就任し、南方へ軍を進める
- 荊州の劉表が病没、子の劉琮が降伏したため、曹操は荊州とその水軍を無血で接収
- 劉備は荊州で曹操に追われ、長坂(現湖北省)で苦戦しながら南へ退き、孫権との連携を模索
208年・赤壁の対峙
- 曹操軍が長江を下り、孫権・劉備連合軍と赤壁付近で遭遇
- 曹操軍は北方の兵が中心で、水上戦・水土に不慣れだったとされる
- 陣中に 疫病 が広がり、戦力が削がれていたと『三国志』は記す
- 連合軍(周瑜・劉備ら)が 火攻め を仕掛け、曹操の船団・陣営が炎上
- 曹操は北へ撤退
戦後の流れ
- 曹操は華北の支配に専念し、後に魏王となる(220年に子の曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、魏が成立)
- 劉備は荊州南部を足がかりに勢力を拡大し、後に益州(蜀)を得て蜀漢を建国(221年)
- 孫権は江東を保持し、後に呉を建国(229年)
- こうして 魏・蜀・呉の三国鼎立 の構図が固まっていく
ここで重要なのは、赤壁の敗退こそが、曹操による早期統一を阻み、三国分立の前提を作った という点です。本記事の「もしも」は、この 一会戦の勝敗 が逆だったら何が変わるか——という限定条件です。
2. 分岐点 ——『赤壁の勝敗』の現実性
曹操が赤壁で敗れた要因として、史料・研究がしばしば挙げるのは、おおむね次の三つです。
- 水上戦への不慣れ:曹操軍の主力は北方の歩騎で、長江の水戦に練度が低かったとされる。荊州で得た水軍を組み込んだものの、運用は十分に成熟していなかった
- 疫病:『三国志』は陣中に疫病が広がったと記しており、これが戦力を大きく損なった一因とされる(病の正体については諸説あり)
- 兵站・地の利:長江以南は曹操にとって不慣れな土地で、補給線も伸びきっていた。一方の連合軍は地の利と水運に通じていた
逆に言えば、もしこれらの不利が一段階だけ緩和されていたら——という条件で「もしも」を絞れます。
IFの前提
ここでの「もしも」を、具体的に絞ります。
赤壁の対陣にあたって、(a)曹操軍の疫病の流行が史実より軽度にとどまり、(b)火攻めへの備え(船団の分散・風向きへの警戒)が一段階機能していたら——曹操が連合軍を撃退し、長江を渡って江東へ攻め込めていたら。
これは「曹操軍の水戦への適応と防御の質が、ほんの一段階だけ高かったら」という条件です。劉備や孫権の存在そのものを消す前提ではなく、一会戦の勝敗 の問題に絞っています。
変化の確率
編集部として、この「もしも」が実際に起きていた確率を評価すると——
-
中程度(★★☆☆☆):曹操軍の数的・国力的な優位は明確で、戦力差だけを見れば勝ってもおかしくなかった、という見方は古くからあります。一方で、水戦の不慣れ・疫病・補給という構造的不利は、一会戦の工夫だけで覆せるものとは限りません。
-
ただし、「疫病さえ広がっていなければ」という条件付きなら、勝敗が傾いた可能性はもう少し上がります(★★★☆☆)。疫病は人為で完全に制御できる要素ではなく、ここが偶然性の高い分岐点だったとも言えます。
本記事の「もしも」は、起きていたら東アジア史への影響が極めて大きい——いわゆる 高インパクト 型の反実仮想です。
3. 世界はどう変わるか(短期・中期・長期)
短期(208〜220年頃):孫権政権の動揺と江南制圧
曹操が赤壁で勝ち、長江を渡って江東へ攻め込めた場合、まず起きるのは、孫権政権が早期に崩壊あるいは降伏に追い込まれる 可能性です。
史実の孫権は、赤壁の勝利によって江東の独立を守り、後の呉建国へとつながりました。この勝利がなければ、孫権が江南で独立勢力として存続するルートそのものが、かなり成立しにくくなります。
同様に、劉備にとっても赤壁は決定的でした。連合の勝利を足がかりに荊州南部を得て、益州へ進出し蜀漢建国に至る——その出発点が失われます。
曹操勝利の世界線では、
- 孫権政権は降伏・解体、あるいは大幅に弱体化
- 劉備は荊州での足場を失い、独立勢力としての伸長が困難に
- 曹操が長江以南を含めて 早期に南北を統一 する公算が高まる
つまり、曹操の勝利によって、史実のような魏・蜀・呉の三国鼎立は、そもそも形成されにくくなる ことになります。
中期(220年代〜):曹操による早期統一と「魏」の形
曹操が南方を制圧していれば、後漢末の分裂は早期に収束し、統一王朝が史実より早く立ち上がった 可能性があります。
ただし、ここには曖昧な点が複数あります(諸説あり)。
- 曹操自身は生前、後漢の献帝を奉じる立場を取り続けており、皇帝位には就かなかった。統一を果たしても 後漢の処遇(禅譲か、形式的存続か) がどうなったかは不確実
- 史実では子の曹丕が220年に禅譲を受けて魏を建てたが、南方統一後の「魏」が史実と同じ統治構造・領域を持ったかは別問題
- 早期統一は、内部の権力闘争(後継・豪族・官僚層との関係)を別の形で生んだ可能性もある
いずれにせよ、「三国」という枠組みが歴史用語として成立しない 世界線になった蓋然性は高い、という整理になります。
長期(3世紀以降):三国も晋もない別の中国史
最も大きな影響が出るのは、ここから先です。
史実では、魏が蜀を滅ぼし(263年)、その魏に取って代わった 晋(西晋) が呉を滅ぼして中国を再統一しました(280年)。しかし西晋は短命で、八王の乱・永嘉の乱を経て、いわゆる 五胡十六国・南北朝 の長い分裂期(およそ4〜6世紀)へと突入していきます。
もし曹操が赤壁で勝ち、3世紀初頭の早い段階で南北統一が実現していたら、
- 晋(司馬氏)による統一というルート自体が、別の形になる可能性
- 三国鼎立を前提とした人物・物語(諸葛亮の北伐、関羽・張飛らの活躍など)の歴史的位置づけが大きく変わる
- その後の分裂期(五胡・南北朝)の入り方・タイミングも、別の形になり得る
ただし、これは「統一が早ければ安定が続いた」という単純な話ではありません。広大な領域を統治し続ける困難、北方民族との関係、豪族層の自立傾向など、分裂を促す要因は赤壁の勝敗とは独立に存在しました。統一の主体と時期が変わっても、その後どこかで再び分裂が訪れた可能性 は十分にあり、ここは本記事の射程を超える別の問いです。
4. 史実では、なぜ起きなかったか
ここで、史実に戻ります。
曹操が赤壁で勝てなかった理由を、リアリティチェックとして整理しておきます。
- 水戦への適応不足:曹操軍の強みは北方の歩騎にあり、長江の水上戦は本来の土俵ではなかった。荊州で得た水軍を組み込んでも、短期間での練度向上には限界があったとされる
- 疫病という偶然性:『三国志』は陣中の疫病を敗因の一つに挙げる。病の正体や規模については諸説あるが、人為で制御しきれない要素が戦局を左右した可能性が高い
- 地の利と兵站:長江以南は曹操にとって不慣れな土地で、補給線が伸びきっていた。逆に連合軍は水運・地形に通じ、火攻めという戦術も水上の状況を熟知していたからこそ成立した
なお、『三国志演義』が描く 諸葛亮の「借東風」や連環の計 といった劇的な勝因は、後世の創作・脚色の色彩が濃く、史書の記述とは切り分けて考えるべきです。当日の風向きや戦術の細部は、史料的にもかなり不透明な部分が残ります(諸説あり)。
つまり、曹操の敗北は単なる油断ではなく、水戦の不慣れ + 疫病という偶然 + 不慣れな地の兵站 という複数条件が重なった結果であり、後世から「もし」を立てやすい会戦になっている——という整理が、標準的な見方に近いと思います。
5. ありえた世界線——もう一つの『208年』
仮に、すべての条件が揃って、曹操が赤壁で連合軍を破り、長江を渡って南方を制圧していたら——その後の中国史は、おそらく次のような特徴を持ったはずです。
- 208年前後:曹操による南北統一が、史実よりはるかに早期に進行
- 孫権政権は降伏・解体、または大幅な弱体化
- 劉備は独立勢力としての足場を失い、蜀漢建国(221年)のルートが消滅
- 魏・蜀・呉の 三国鼎立という構図そのものが成立しにくい
- 後漢の処遇(禅譲か存続か)が、史実とは別の形になる可能性
- 司馬氏の台頭と 晋による再統一(280年)というルートも、別の形 になり得る
- 諸葛亮の北伐・五丈原、関羽・張飛らの物語といった、三国を前提とする史実の挿話の多くが、別の歴史的文脈に置き換わる
これは「もし」の限定条件下で導いた一つの解釈にすぎず、史実とは異なります。ただ、赤壁という 一会戦の勝敗 が、その後数世紀の東アジア史を別の形に組み替えた可能性は、十分にあり得たということです。
6. 最後の問い
歴史を変えるのは、巨大な王朝の興亡だけではなく、ある一つの会戦で、偶然と備えがどちらに傾いたか ——という、極めて細い分岐点だったのかもしれません。
曹操は赤壁ののち、自軍の船を自ら焼いて撤退した、という記述も伝わります(諸説あり)。圧倒的な国力を持ちながら、水と疫病と不慣れな地の前に退いた——その判断の重さを思います。
しかし、もしその冬、疫病が広がっていなかったら。 そして曹操軍が、火と風への備えを一段階だけ厚くできていたら——。
両者を分けたのは、兵数や名将の有無だけではなく、不慣れな土俵で、偶然の不利にどこまで備えられたか ——だったのかもしれません。
私たちもまた、自分の得意な土俵を離れたとき、偶然の不利にどこまで備えているでしょうか。
この「もしも」を、別角度で楽しむ
赤壁の戦い・三国時代は、漫画・歴史小説・映画でも多角的に描かれています。本記事の反実仮想と読み比べると、後漢末の判断構造がより立体的に見えてきます。なお、作品の多くは史書『三国志』ではなく小説『三国志演義』を下敷きにしている点に留意すると、史実との差分が見えてきます。
- 漫画『蒼天航路』(原作・李學仁/作画・王欣太・講談社) — 曹操を主人公に据え、赤壁を含む後漢末を骨太に描く。曹操視点という珍しい切り口は、本記事の反実仮想の出発点として有用。
- 小説『三国志』(吉川英治)/『三国志』(陳舜臣) — 演義系の物語と、史実寄りの語りを読み比べられる定番。創作と史実の橋渡しに。
- 書籍『正史 三国志』(陳寿)現代語訳・関連解説書 — 一次資料そのものに触れ、演義との差分を確かめる。
映像で深掘りする選択肢
赤壁の戦い・三国時代を題材にした映画やドラマは、日本・中国の双方で繰り返し制作されてきました。スカパーの時代劇専門チャンネルでは、歴史・時代劇作品が放送・配信されており、ひとつの選択肢として挙げておきます。
🌀 編集部メモ:
本記事は反実仮想(歴史IF)です。事実関係は『三国志』(陳寿)とその裴松之注・現代の三国時代研究を参照していますが、解釈・推論部分は IF Lab 編集部の独自整理です。曹操軍の敗因(水戦の不慣れ・疫病・兵站)、火攻めの細部、後漢の処遇——いずれも諸説あります。『三国志演義』由来の創作(借東風・連環の計・苦肉の計など)は史実とは切り分けています。
📚 諸説ある題材です
赤壁の戦いの正確な位置・規模、曹操軍の兵数、陣中の疫病の正体、火攻めの具体的な経緯、そして『三国志演義』が描く名場面の数々の史実性——いずれも、研究者の間で諸説あります。本記事はその中で、現在の標準的な整理(史書『三国志』とその裴松之注を一次資料として最重視し、小説『三国志演義』の創作との差分を hedge する)を採用しています。
※別の解釈・反論も歓迎しています。気持ちよく読める形でいただけると嬉しいです。
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note では語りきれない短編コラムを、サイトでも少しずつ公開しています。
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