ハン・ファン・メーヘレン 自らフェルメール贋作と証明した男
偽物の博物館 · 2026-05-20 · 約2,200字 · 約5分
法廷で被告人が、「あれは贋作だ。私が描いた」と告白する——。1945年、戦後オランダで起きたこの事件は、20世紀最大の贋作スキャンダルとして知られています。
被告人の名前は ハン・ファン・メーヘレン(Han van Meegeren, 1889-1947)。オランダの画家であり、生前にすでに 17世紀の巨匠ヨハネス・フェルメールの作品 とされる絵を複数、世に送り出していた人物です。
なぜ告白したのか。実はそれは、もっと重い罪——対敵協力(ナチ高官への国宝級美術品の売却)——から逃れるためでした。そして法廷で「描いてみせる」ことで贋作を証明したメーヘレンは、いつの間にかオランダで 「ナチを欺いた英雄」 として人気者になっていきます。
ところがここ20年ほど、その英雄像は、徐々に再検証されつつあります。本稿では、確定している裁判記録と、近年の研究での見直しを並べてみます。
1937年、エマオの食卓事件
メーヘレンの「フェルメール贋作」が、最初に世に出たのは1937年のことです。
その年、オランダ・ロッテルダムのボイマンス美術館が、ある絵を 新発見のフェルメール真作 として購入しました。題名は『エマオの食卓』(Christ at Emmaus)。当時の最高権威フェルメール研究者だった アブラハム・ブレディウス(Abraham Bredius)が真作と鑑定し、論文も発表しました。購入額は当時の通貨で約 520,000 ギルダー とされ、これは現代の貨幣価値に換算するとかなりの巨額でした。
絵は美術館の目玉として展示され、戦前のオランダで広く知られる作品になります。
これがメーヘレンの作だった、と判明するのは、それから10年近く後のことです。
ゲーリングに売られた偽フェルメール
時代は第二次世界大戦中、占領下のオランダ。メーヘレンはこの時期、複数の 「新発見フェルメール」 をオランダ国内外に売却していたとされます。買い手の中には、ナチス・ドイツの空軍総司令官 ヘルマン・ゲーリング が含まれていました。
ゲーリングは美術品蒐集家として知られ、占領地から大量の絵画を集めていました。そのコレクションの中に『キリストと姦淫の女』(Christ with the Woman Taken in Adultery)というフェルメール作品が含まれていたのです。
戦後、連合国軍はゲーリングの蔵書とコレクションを押収し、これが オーストリアの岩塩鉱の中 から発見されます。出所をたどると、オランダ人画商を経由して、最終的に ハン・ファン・メーヘレン に辿り着きました。
1945年5月、メーヘレンは 対敵協力罪(ナチ高官に国宝級美術品を売却した罪)で逮捕されます。これは戦後オランダで最も重い罪のひとつで、有罪なら死刑もあり得ました。
法廷での告白と、描いてみせる証明
ここでメーヘレンは、ある選択をします。彼は告白しました。
「あれはフェルメールではない。私が描いた贋作だ」
つまり、ナチに国宝を売ったのではなく、ただの 粗悪な贋作 を売っただけだ、というわけです。罪は対敵協力から、贋作罪(軽い罪)に変わります。
ただ、この主張は当然、まともに信じてはもらえません。当時の世界的権威ブレディウスが「真作」と鑑定した絵を、自分が描いたなどと言われても、誰も納得しない。
そこでメーヘレンは、もう一枚描いてみせる ことを提案します。1945年7月から12月にかけて、警察の監視下で、メーヘレンは『若き日のキリストと教会の博士たち』(Young Christ Teaching in the Temple)を描き上げます。技法、顔料の配合、ひび割れの作り方——彼は自分のテクニックを、検察と専門家の目の前で再現してみせたのです。
これにより、彼の主張が裏付けられました。1947年10月、メーヘレンは 贋作罪で1年の懲役 を言い渡されます。対敵協力の容疑からは免れたわけです。
ただしメーヘレンはその約1ヶ月後、刑の執行前に 心臓発作で死去 します。58歳でした。
戦後の「英雄」化
死後、メーヘレンの物語は急速にロマン化されていきます。
1947年当時のオランダの世論調査では、メーヘレンは 国民的英雄ランキングで上位 に入った、と伝えられています。理由はわかりやすい。「オランダ人画家が、ナチ高官をまんまと贋作で欺いた」という構図は、戦後の傷ついた国民感情にとって心地よい物語でした。本物の国宝はオランダに残り、ナチには偽物だけが渡った——そう読めば、メーヘレンは抵抗運動の英雄に近い。
この「英雄物語」は、戦後数十年にわたって、メーヘレンの一般的なイメージとして定着していきます。
近年の再検証——「二度目の真贋論争」
しかし、メーヘレン死後の長期にわたる研究で、この英雄像にも疑問符が付き始めました。
たとえば、ジャーナリストの フランク・ウィン(Frank Wynne)が2006年に出版した I Was Vermeer(邦訳『フェルメールになれなかった男』)では、メーヘレンが戦時中、占領下で 不自然なほど裕福に暮らしていた こと、ヒトラーに献辞付きの自著を送ったとされる経緯、戦後の「英雄」イメージが弁護戦略として意図的に作られた可能性——などが指摘されています。
つまり、こういう見方もできます。
- メーヘレンは「ナチを欺くために偽物を売った」のではなく、単に儲かるから売った可能性がある
- 戦後の告白も、対敵協力という重罪から逃れるための 次善の選択だった可能性
- 「英雄」イメージは、本人とその支援者が意図的に育てた 二度目の物語化だった可能性
すべてが確定したわけではありません。本人がすでに故人で、内心は確認しようがない領域です。ただ、少なくとも「ナチを欺いた純粋な英雄」という単純な物語は、現代の研究では維持されにくくなっている、という流れはあります。
二度仕立てられた贋作
最初の贋作は、フェルメールの絵でした。1937年の『エマオの食卓』から始まる一連の作品群です。
二度目の贋作は——もしかすると——自分自身についての物語 だったのかもしれません。「ナチを欺いた英雄」という、戦後オランダが必要としていた物語に、本人とその弁護人が応える形で作り上げた、もう一つの「新発見」。
このパターン、どこかで見覚えがありませんか。
The IF Lab で先日扱った 16歳の偽パイロット フランク・アバグネイル の話も、構造としては似ています。最初に物を偽る → 法廷でその偽りを告白する → その告白を含めて、もう一度、物語化する——というパターンは、複数の事例に見られる可能性があります。
詐欺と贋作の世界では、「自分についての物語そのものを商品化する」という、最後の一手があるようです。そしてその物語は、本人が亡くなった後も、誰かが買い続ける限り、流通を続けます。
自伝と映画で「物語の二重構造」を観る
メーヘレンを題材にした書籍と映画は、いずれも「英雄イメージとその検証」をテーマに据えています。読み比べると、戦後の単純な英雄像が、徐々に複雑化していく流れが見えてきます。
フェルメールになれなかった男 ——20世紀最大の贋作事件(ちくま文庫)
フランク・ウィン著・小林頼子/池田みゆき訳。メーヘレンの生涯と贋作事件を、戦後の「英雄」像を解体しながら追ったノンフィクション。本記事の再検証パートはこの本の整理に多くを負っている。
最後のフェルメール ナチスを欺いた画家(Blu-ray)
2019年制作・ガイ・ピアース主演。法廷劇を中心に、メーヘレン裁判を「ナチを欺いた英雄」サイドから描いた映画。書籍と読み比べると、戦後オランダが必要とした物語が、現在もエンタメ作品として再生産され続けている構造が見える。
他の書店・配信でも
- 紀伊國屋書店ウェブストアでフェルメール関連書籍を探す
- hontoで美術書・贋作論を探す
- Amazonでフェルメール・美術史の書籍を探す
- タワーレコードオンラインで関連映画を探す
- Neowingで美術ドキュメンタリー DVD を探す
🌀 もしも、メーヘレンが戦時中に逮捕されず、戦後も贋作を売り続けていたら?
ボイマンス美術館の『エマオの食卓』は、いまも「フェルメール真作」として展示されていたかもしれません。フェルメール真作とされる現存作品は約34点。そのうちのいくつかが、いまも別人の手によるものだとしたら——美術史の地図そのものが、少し違って見えるはずです。
主な参照
- Frank Wynne, I Was Vermeer: The Forger Who Swindled the Nazis(2006 / 邦訳『フェルメールになれなかった男』ちくま文庫)
- ロッテルダム ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館 公式アーカイブ(Christ at Emmaus 関連資料)
- Edward Dolnick, The Forger's Spell: A True Story of Vermeer, Nazis, and the Greatest Art Hoax of the Twentieth Century(2008)
- en.wikipedia.org/wiki/Han_van_Meegeren(参考・複数言語版を照合)
本記事は note では公開していない、The IF Lab サイト独占コラムです。
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