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架空王女カラブー メアリー・ベイカー ――1817年、イギリス田舎町に現れた「異国の王女」の正体

歴史のあやまち · 2026-10-17 · 約2,577字 · 約5分

ブリストル郊外に現れた謎の女性

1817年4月、イギリスのブリストル近郊アルモンズベリーの村に、奇妙な身なりをした若い女性が現れた。

彼女は英語を一切話さなかった。身振り手振りで何かを訴えようとするが、村人には全く理解できない言葉を話していた。外見は明らかに「東洋的」に見え、服装も見たことのないものだった。

村の名士ウォーラル氏の妻エリザベスは、この女性を家に連れ帰り、世話をした。彼女は「カラブー(Caraboo)」という言葉で自分を指し示した。

その後、謎の言語を理解できるという「マレー語通訳」が現れ、彼女の正体が明らかになったとされた。「カラブー」とは太平洋のある島の王女の名前であり、彼女は海賊に誘拐されてイギリスに連れてこられたというのだ。

この「発見」は瞬く間に評判になった。ブリストルの知識人・学者・貴族たちが彼女に会いに来て、その「東洋的」な礼儀作法・言語・宗教的習慣に魅了された。


熱狂の数ヶ月

カラブー姫の評判は地方新聞で報道され、やがてロンドンの新聞にも取り上げられた。

彼女は独自の宗教的習慣を持っているとされ、特定の食物しか食べず、木に登り、旗竿の上でバランスを取り、刀を振るうパフォーマンスを見せた。「アラー・タラ」という神への祈りを捧げるとも伝えられた。

ウォーラル家に宿泊しながら、彼女は数ヶ月にわたってブリストル社交界のセンセーションであり続けた。肖像画が描かれ、雑誌に掲載された。

当時のブリストルは港湾都市として栄え、東インド会社の貿易船が行き来し、異国の商品・情報が流入する都市だった。「東洋」や「南海の島々」という言葉が持つ神秘的なイメージは、当時の市民の想像力を強く刺激した。ナポレオン戦争(1803〜1815年)が終わって間もないこの時期、ヨーロッパの人々は「外の世界」への関心を新たに高めていた。

カラブー姫が行うパフォーマンスの一つ一つが、「やはりそういう文化があるのだ」という確証として受け取られた。「見たい・信じたい」という心理が、検証の機会を自ら狭めた。


正体の発覚

1817年6月、ブリストルの新聞にカラブー姫の記事と肖像が掲載された。

しばらくして、ブリストルの下宿屋を営むネザルソープ夫人がこの肖像を見て「あの人ではないか」と思った。彼女はウォーラル夫人に手紙を書いた。

「あの女性は私の下宿に住んでいたことがあります。本名はメアリー・ベイカー、デヴォン州ウィムスターの靴職人の娘です」

調査の結果、「カラブー王女」の正体が明らかになった。メアリー・ベイカー(Mary Baker)、1791年頃生まれ。デヴォン州出身の靴職人の娘で、召使いとして各地で働いた後、「異国の王女」という役を演じ始めたのだった。

ウォーラル夫人は怒りよりも、むしろ彼女の演技の才能に感心したとも伝えられる。彼女は処罰を免れ、支援者たちの助けを借りてアメリカに渡った。

「カラブー語」と称していた言語は、彼女が自ら考案した完全な造語だったとされる。それを「マレー語」と「翻訳」した「通訳」もまた、偶然居合わせた人物が自分の知識を誇示したく「理解できるふりをした」という説もある。詐欺が詐欺を呼んだ可能性がある。


アメリカでのその後

メアリー・ベイカーはアメリカのフィラデルフィアで「カラブー姫」として再び公衆に披露されたが、こちらは不評に終わったとされる。

やがてイギリスに戻り、1817年の詐欺で得た経験をもとに何らかの生計を立てながら、1864年頃に死亡したとされる。最晩年にはまた「カラブー姫の水薬」を売っていたという記録も残っている。

彼女の生涯は1817年の「事件」を軸に、それ以外の部分は記録が乏しい。歴史に残ったのは「カラブー姫を演じた」という一点のみで、その前後の「靴職人の娘メアリー・ベイカー」の人生は詳しくは伝わっていない。


なぜ賢明な人々が信じたのか

メアリー・ベイカーの詐欺で興味深いのは、ブリストルの知識人・学者・貴族という教育を受けた人々が、数ヶ月にわたって信じ続けたという事実だ。

なぜか。

第一に、異国への関心と憧れ。19世紀初頭のイギリスでは、東洋・太平洋・南海の島々への旅行記・探検記が盛んに出版されており、「見たことのない文化」への好奇心が高かった。

第二に、信じたい気持ちが検証を妨げた。「異国の王女が逃げてきた」というロマンチックな物語は、信じることで自分も「物語の一部」になれる快感を与えた。

第三に、「通訳」という権威。「マレー語通訳」が「この言語を理解できる」と言えば、それを検証できる人が周囲にいなかった。

第四に、「疑うことのコスト」。もし「本物の王女かもしれない」という状況で疑って追い出したとしたら、後で「本物だった」と分かった時の社会的恥は大きい。疑うことのリスクが、信じ続けることを合理的に見せる側面があった。


「もしも」の視点: 異国の幻想と私たちの見たいもの

カラブー姫の詐欺は、「人々が見たいものを提供する者は成功する」という原則の好例だ。

19世紀初頭のブリストルの知識人が「見たかった」のは、「遠い異国からの謎めいた客人」という物語だった。メアリー・ベイカーはその期待に完璧に応えた。彼女が持っていたのは知識ではなく、「観察と演技」の能力だった。

もしも「カラブー姫」の物語が新聞に掲載されなければ、ネザルソープ夫人が肖像を見ることはなく、詐欺はさらに長く続いていた可能性がある。皮肉なことに、評判を広めた「メディア」が詐欺の解体者にもなった。

情報の広まりが詐欺を助長し、同時に詐欺を終わらせる——この構造は現代のSNS時代にも通じる。バイラルになればなるほど検証される機会も増える。1817年のブリストルで起きたことは、情報環境が変わっても繰り返し現れる構造だ。

メアリー・ベイカーは「嘘をついた」のか、それとも「演じた」のか。この問いへの答えは、「カラブー語」という完全な造語を持ち込み、一貫したキャラクターを演じ抜いた彼女の知的能力への驚きと同時に、問われ続ける。


本稿の史実部分は、ジョン・ウェルズ著 The Princess of Caraboo: Her True Story、当時のブリストル新聞記録等をもとに構成しています。諸説があります。


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