もしも研究所

もしも、コロンブスがあと2日だけ耐えられなかったら?

歴史のあやまち · 2026-07-19 · 約939字 · 約2分

これは、近代以降の世界史を大きく塗り替えた航海の話です。 そして、その航海が違う結末を迎えていたら——という、当研究所定番の if 思考実験でもあります。

1. 事実 — 何が実際に起きたか

1492年8月3日、スペイン南西部のパロス港から、3隻の船が出港しました。 旗艦サンタ・マリア号(キャラック船)、ピンタ号、ニーニャ号(いずれもカラベル船)。 艦隊を率いていたのは、ジェノヴァ生まれの航海者 クリストファー・コロンブス、当時41歳前後でした。

彼の目的地は、東回りで何ヶ月もかかる「インド」——香辛料の宝庫として知られていた東洋諸国です。 しかしコロンブスは、地球を球と仮定して 西回りで インドに到達できると確信していました。 スペインのカトリック両王(イサベル女王とフェルナンド王)から支援を取り付け、彼は史上初の本格的な大西洋横断に挑みます。

5週間後の 1492年10月12日午前2時頃、ピンタ号の見張り役 ロドリゴ・デ・トリアーナ が陸地を発見しました。 場所は現在のバハマ諸島のいずれかの島、先住民が「グアナハニ」と呼んでいた島でした。 コロンブスはそこに上陸し、スペイン国旗を立て、その土地を「サン・サルバドル」と名付けます。

上陸後、彼らは タイノ族 と呼ばれるアラワク系の先住民と接触しました。 コロンブス自身は最後まで、自分が インドの島々に到達した と信じ続けます(そのため彼は先住民を「インディオ」と呼びました)。 実際にはそこは、ヨーロッパ人にとって完全に未知の大陸——後に「アメリカ大陸」と呼ばれる土地の入り口でした。

その後、コロンブスは現在のキューバ、エスパニョーラ島(現ハイチ・ドミニカ共和国)を探検しました。 1492年12月25日のクリスマスの夜、旗艦サンタ・マリア号はエスパニョーラ島の珊瑚礁で座礁し、廃船となります。 コロンブスは難破船の木材で 「ラ・ナビダ」要塞 を建造し、39人の船員を残してスペインに帰国しました。

この航海から、人類史上最大の地理的・文明的接続が始まります。

2. 分岐点 — もしもの転換ポイント

歴史にはいくつもの「危うかった瞬間」があります。 コロンブスの航海も、無数の偶然の上に成り立っていました。

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