もしも研究所

オットー大帝とアーデルハイト 城に幽閉された王妃を救った皇帝の話

歴史のあやまち · 2026-07-09 · 約1,264字 · 約2分

これは10世紀のヨーロッパ、まだ「神聖ローマ帝国」という言葉が定着する前夜の物語です。 若くして寡婦となり、城に幽閉されたイタリア女王。 そこへ大軍を率いて駆けつけた、北方のドイツ王。 二人の結婚は、ただの救出劇では終わらず、ヨーロッパ中世の権力地図そのものを書き換えていきました。

1. 政略結婚と早すぎる夫の死

アーデルハイト(イタリア語ではアデライデ)は、931年頃、ブルグント王ルドルフ2世の娘として生まれました。 6歳のとき、彼女は当時のイタリアをめぐる政略の駒として、北イタリアの王ロタール2世と婚約します。 947年、16歳前後で正式に結婚し、彼女は イタリア王妃 となりました。

ところが結婚生活はあまりに短く終わります。 950年11月、夫ロタール2世が突然死しました。 死因は毒殺の疑いが強い、と当時から噂されていました。 最大の容疑者は、ロタール2世の対抗勢力だった イヴレーア辺境伯ベレンガリオ2世(ベレンガル2世)。 彼は夫の死後すぐにイタリア王位を奪い、自分の息子アーダルベルトをアーデルハイトと再婚させてイタリア支配を盤石にしようとしました。

19歳の若きアーデルハイトは、これを拒否します。 ベレンガリオはこれに激怒し、彼女を北イタリアの ガルダ湖畔の塔 に幽閉した、と伝えられます。 951年初め頃のことでした。

2. ガルダ湖の塔から、アルプスを越えて

幽閉中のアーデルハイトの境遇については、後世の聖人伝で大きく脚色されている部分もあるとされますが、当時の年代記からも厳しい監視下にあったことは確かです。

このとき、彼女に手を差し伸べたのが アタ司祭 という地元の聖職者だったと伝えられます。 951年8月頃、彼の手引きで、アーデルハイトは塔から脱出に成功します。 古い記録の伝えるところでは、彼女は侍女と二人で湖畔の沼地を抜け、しばらく漁師の家に匿われた後、最終的にカノッサ伯アット(後に皇帝ハインリヒ4世が屈辱を受ける、あの「カノッサの屈辱」のカノッサです)の城へ逃げ込んだ、とされます。

カノッサに身を寄せたアーデルハイトは、そこから北方への救援要請を発します。 助けを求めた相手が、当時の 東フランク王オットー1世 でした。 彼は折しも、イタリア進出の機会を窺っていた人物です。

オットーは即座に応じます。 951年秋、彼はアルプスを越えてイタリアに侵入し、ベレンガリオ2世の軍をほぼ無抵抗で撃退しました。 そしてパヴィアでアーデルハイトと対面し、その場で結婚を申し込んだ——と伝えられます。

このとき、オットー1世は39歳前後。 すでに最初の妻イーディス(イングランド王エドワード長兄王の娘)と死別しており、独身でした。 アーデルハイトは20歳。 二人の結婚は、951年の秋に挙行されたとされます。

3. 救出婚から「皇帝夫妻」へ

二人の結婚の意味は、単なる救出劇では到底語れない、政治的な重みを持っていました。

イタリア王の未亡人と結婚することで、オットー1世は イタリア王の正統性 を継承する立場になりました。

この記事をシェア

𝕏💬 LINE📑 はてB
SPONSORED
Amazon (もしもアフィリエイト)
SPONSORED
楽天ひかり楽天カード
SPONSORED
ハリー・ポッター駅探(おでかけ・レジャー割引)