もしも、ペニシリンの発見が30年早まっていたら?——救われた命と、早すぎた耐性菌
歴史のあやまち · 2026-03-28 · 約3,400字 · 約7分
人類の死因の上位から「感染症」がほぼ消えたのは、医学史のなかでもかなり最近の出来事だと言われます。 そしてその転換点に立つ薬が、ペニシリンです。
今回はその発見が、もし30年早まっていたら——という、当研究所では珍しく重い余韻を残すことになった if 思考実験です。
1. 実際に起きたこと
1928年9月、ロンドンのセント・メアリー病院。 ブドウ球菌を培養していた細菌学者 アレクサンダー・フレミング が、夏の休暇から研究室に戻ると、培養皿の一枚にカビが混入していたことに気づきます。
そのカビは当時、ペニシリウム・ノタタム(Penicillium notatum)と呼ばれたものです(現在の分類では Penicillium rubens とされることもあります)。 カビの周囲だけ、ブドウ球菌のコロニーが溶けるように消えていました。
フレミングはこの現象に気づき、カビの培養液に何らかの抗菌物質が含まれていると推測し、それを「ペニシリン」と命名します。 論文は1929年に British Journal of Experimental Pathology に発表されました。
ただ。
ここからが医療史の不思議なところで、フレミング自身はペニシリンを薬として精製・実用化することができませんでした。 ペニシリンは不安定で、抽出しても短時間で活性を失う物質だったためです。 論文発表後、ペニシリンはおよそ10年ほど医学界から半ば忘れられた存在になります。
事態が動くのは1939年以降。 オックスフォード大学の ハワード・フローリー と エルンスト・チェイン、そして生化学者 ノーマン・ヒートリー らのチームが、凍結乾燥や独自の抽出法を組み合わせて、ペニシリンを薬として精製することに成功します。
1941年2月、オックスフォード警察官 アルバート・アレクサンダー が、ペニシリンの初期の本格的な治療例として知られる患者になりました。 バラのトゲから感染した敗血症がいったん劇的に改善した、という記録が残っています。 ただし当時の生産量はあまりに少なく、彼は治療継続のための薬が尽きた段階で再悪化し、亡くなりました。
その後、米国の製薬企業(ファイザー、メルクほか)が大量生産技術を確立し、第二次世界大戦末期の1944年頃から、連合軍兵士の感染症治療に大規模に投入されます。 人類が「抗生物質の時代」に入った瞬間とされます。
フレミング・フローリー・チェインの3名は1945年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
2. 分岐点 — 30年の前倒し
今回の if は、この 1928年の発見が、30年早く 1898年に起きていたら というものです。
なぜ30年か。 30年という数字を選んだ理由は、編集部内でも実はかなり議論になりました。 20年だと第一次世界大戦に間に合わず、40年だと細菌学そのものの成熟度に無理が出る。 1898年 は、ロベルト・コッホによる結核菌発見(1882年)、パスツールによる狂犬病ワクチン(1885年)から十数年が経過し、欧州の細菌学が「病原体を見つける」段階から「対処法を探す」段階へ移ろうとしていた時期にあたります。
つまり、1898年は 理屈としてはペニシリンを発見できた可能性が皆無ではない時代 と言える、というのが当研究所の見立てです(諸説あります)。
具体的なシナリオとしては、たとえばロンドンかパリかベルリンの細菌学研究室で、別の研究者が雑菌混入の培養皿を観察した、という想定が穏当でしょう。 名前のない誰かが、フレミングが30年後に気づいた現象に、たまたま気づいた——これだけで歴史は分岐します。
3. もしも、第一次世界大戦に抗生物質があったら
1898年に発見が起きていれば、精製・量産にかかった現実の時間差(発見から実用化まで約16年)を踏まえても、第一次世界大戦(1914〜1918年)には、ペニシリンが間に合っていた可能性があります。
これは、想像以上に大きな分岐です。
第一次大戦は、塹壕戦と砲弾による「深く・汚れた傷」を大量に生みました。土壌中の嫌気性菌(クロストリジウム)が深い傷の奥で増殖して起きるガス壊疽は、当時の軍医が最も恐れた合併症です。汚染された深い創傷からの感染症やガス壊疽は、多数の兵士を死に至らせました。その規模を示す推計は国や資料によって大きく異なりますが、敗血症まで含めれば、「傷そのものではなく、傷からの感染で死んだ兵士」は数えきれません。
もし戦場にペニシリンがあれば、これらの相当数は救えたかもしれない。市民生活でも同じです。肺炎、産褥熱(出産時の感染)、ちょっとした切り傷からの敗血症——抗生物質以前は「ありふれた死」だったものが、30年早く過去のものになっていた可能性があります。
ここまでなら、明るい if です。問題は、その先にあります。
4. 早すぎた、耐性菌の時代
抗生物質には、最初から宿命的な弱点があります。使えば使うほど、効かない菌(耐性菌)が選び出されてくることです。
これは後付けの知恵ではありません。発見者フレミング自身が、1945年のノーベル賞受賞講演で、不十分な量のペニシリンを使うことが菌を耐性化させる危険をはっきり警告しています。そして彼はこう締めくくりました——**「ペニシリンを使うなら、十分に使え(If you use penicillin, use enough.)」**と。
現実の歴史ですら、ペニシリンの普及からほどなく耐性菌は現れました。では、もし発見が30年早かったら——耐性菌の出現も、30年早まっていたはずです。
しかも問題は単なる前倒しではありません。1900年代初頭は、まだ「菌がなぜ耐性を持つのか」という分子レベルの理解も、複数の抗生物質を使い分ける備えも、何もなかった時代です。正しい使い方の知識がないまま、強力すぎる武器だけが手に入る——これは最も危うい組み合わせです。代わりの抗生物質が登場する前に主力のペニシリンが効かなくなれば、人類は「効く薬を一度持ったのに、また失う」という事態を、もっと早く、もっと無防備に迎えていたかもしれません。
5. 「もしも」の視点: 発見には、早すぎる時期がある
この思考実験が残すのは、「早ければ早いほどいい」とは限らない、という少し重い余韻です。
偉大な発見は、それを支える知識と仕組み——量産技術、使い方のルール、耐性という現象への理解——が揃って初めて、本当の恵みになります。それらが未熟なうちに切り札だけが手に入ると、恵みは浪費され、ときに災いの種にもなりかねない。
フレミングの「使うなら十分に」という警告は、現実の世界にもそのまま向けられています。抗生物質の効かない「薬剤耐性(AMR)」は、いまも世界の公衆衛生上の大きな課題です。30年早い発見という空想は、巡り巡って、いま私たちが手にしている薬をどう使うかを問い返してきます。
発見の価値は、何を見つけたかだけでなく、それを受け止める準備が世界にできていたか——その「タイミング」によっても決まる。ペニシリンという人類最大級の恵みは、そのことを静かに教えてくれます。
史実部分は、ノーベル財団(nobelprize.org、フレミング1945年講演)、英国 Science Museum、第一次世界大戦期の戦傷感染に関する公開資料等をもとに構成しています。「30年早い発見」以降は史実に基づく思考実験(if)であり、年代・数値には諸説があります。本稿は安全側の通説に拠りました。
