もしも、ペニシリンの発見が30年早まっていたら?——救われた命と、早すぎた耐性菌
歴史のあやまち · 2026-08-02 · 約1,526字 · 約3分
人類の死因の上位から「感染症」がほぼ消えたのは、医学史のなかでもかなり最近の出来事だと言われます。 そしてその転換点に立つ薬が、ペニシリンです。
今回はその発見が、もし30年早まっていたら——という、当研究所では珍しく重い余韻を残すことになった if 思考実験です。
1. 実際に起きたこと
1928年9月、ロンドンのセント・メアリー病院。 ブドウ球菌を培養していた細菌学者 アレクサンダー・フレミング が、夏の休暇から研究室に戻ると、培養皿の一枚にカビが混入していたことに気づきます。
そのカビは当時、ペニシリウム・ノタタム(Penicillium notatum)と呼ばれたものです(現在の分類では Penicillium rubens とされることもあります)。 カビの周囲だけ、ブドウ球菌のコロニーが溶けるように消えていました。
フレミングはこの現象に気づき、カビの培養液に何らかの抗菌物質が含まれていると推測し、それを「ペニシリン」と命名します。 論文は1929年に British Journal of Experimental Pathology に発表されました。
ただ。
ここからが医療史の不思議なところで、フレミング自身はペニシリンを薬として精製・実用化することができませんでした。 ペニシリンは不安定で、抽出しても短時間で活性を失う物質だったためです。 論文発表後、ペニシリンはおよそ10年ほど医学界から半ば忘れられた存在になります。
事態が動くのは1939年以降。 オックスフォード大学の ハワード・フローリー と エルンスト・チェイン、そして生化学者 ノーマン・ヒートリー らのチームが、凍結乾燥や独自の抽出法を組み合わせて、ペニシリンを薬として精製することに成功します。
1941年2月12日、オックスフォード警察官 アルバート・アレクサンダー が、世界で初めてペニシリンを治療目的で投与された人類になりました。 バラのトゲから感染した敗血症がいったん劇的に改善した、という記録が残っています。 ただし当時の生産量はあまりに少なく、彼は治療継続のための薬が尽きた段階で再悪化し、亡くなりました。
その後、米国の製薬企業(ファイザー、メルクほか)が大量生産技術を確立し、第二次世界大戦末期の1944年頃から、連合軍兵士の感染症治療に大規模に投入されます。 人類が「抗生物質の時代」に入った瞬間とされます。
フレミング・フローリー・チェインの3名は1945年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
2. 分岐点 — 30年の前倒し
今回の if は、この 1928年の発見が、30年早く 1898年に起きていたら というものです。
なぜ30年か。 30年という数字を選んだ理由は、編集部内でも実はかなり議論になりました。 20年だと第一次世界大戦に間に合わず、40年だと細菌学そのものの成熟度に無理が出る。 1898年 は、ロベルト・コッホによる結核菌発見(1882年)、パスツールによる狂犬病ワクチン(1885年)から十数年が経過し、欧州の細菌学が「病原体を見つける」段階から「対処法を探す」段階へ移ろうとしていた時期にあたります。
つまり、1898年は 理屈としてはペニシリンを発見できた可能性が皆無ではない時代 と言える、というのが当研究所の見立てです(諸説あります)。
具体的なシナリオとしては、たとえばロンドンかパリかベルリンの細菌学研究室で、別の研究者が雑菌混入の培養皿を観察した、という想定が穏当でしょう。 名前のない誰かが、フレミングが30年後に気づいた現象に、たまたま気づいた——これだけで歴史は分岐します。
