中世スコットランド 偽王位継承者ペルキン・ウォーベック ――1490年代、「死んだはずの王子」を演じた男
歴史のあやまち · 2026-10-29 · 約1,958字 · 約3分
「塔の王子たち」の謎
1483年、イングランドの幼王エドワード5世と弟リチャードは、ロンドン塔に入れられた。後見人である叔父リチャード(後のリチャード3世)によって「安全のため」と説明されたが、やがて二人の姿は塔から消えた。
「塔の王子たち(Princes in the Tower)」。彼らがどこで、どのように死んだのか——あるいは本当に死んだのか——は、英国史上最大の謎のひとつとして今も論争が続いている。
この謎の空白に飛び込んだのが、ペルキン・ウォーベック(Perkin Warbeck)だった。
「リチャード公爵」を名乗った男
1491年、アイルランドのコーク(Cork)に一人の青年が現れた。彼はフランドル出身の商人の随行者として来ていたが、その容姿と物腰が貴族的だと評判になった。
やがて彼は「自分はリチャード、ヨーク公爵、ロンドン塔から奇跡的に脱出した王子だ」と名乗り始めた。本物の王位継承者なら、テューダー朝のヘンリー7世は簒奪者となる——この主張は、テューダー朝に不満を持つ勢力の支持を集めた。
ペルキン・ウォーベックの本名はヤン・ド・ウォルベーク(Jan de Werbecque)とも、ピアース・オスベック(Pierrequin Werbecque)とも記録されている。フランドル(現在のベルギー)のトゥルネー出身で、父は市の役人だったとされる。
ヨーロッパ各地の後援者
ウォーベックの主張は、ヘンリー7世に対抗したい勢力に利用された。
フランス王シャルル8世は彼を一時的に歓迎した。その後、彼を最も強力に後援したのはマーガレット・オブ・ヨーク——リチャード3世の姉にして、フランドル公爵夫人だ。彼女はウォーベックを本物の甥として受け入れ、彼に王子としての礼儀作法・宮廷での立ち振る舞いを教えたとされる。
スコットランド王ジェームズ4世も彼を認め、1496年にはスコットランド軍を率いてイングランドへの侵攻を試みた。しかしイングランド国境の人々はウォーベックへの支持を示さず、遠征は失敗した。
ジェームズ4世はスコットランド貴族の令嬢キャサリン・ゴードンとウォーベックの結婚を取り持った。スコットランド王族との縁戚関係が、彼の「王子」としての地位をさらに高めた。
失敗した侵攻と捕虜
1497年、ウォーベックはイングランド南西部のコーンウォールで反乱を起こした民衆の支持を得て上陸した。しかし本格的な軍事支援は得られず、エクセターを攻略できなかった。
ヘンリー7世の軍に追い詰められ、ウォーベックは教会に逃げ込んで投降した。ヘンリーは当初、彼を比較的寛大に扱った。宮廷に保護し、妻のキャサリンとの面会も許した。
しかし1498年、ウォーベックはロンドン塔から脱走を試みた(あるいは試みたとされる)。捕まった後、彼は改めてロンドン塔に収監された。
そして1499年11月23日、彼は絞首刑に処された。
「本物だったのか」という問い
ペルキン・ウォーベックが「本物の王子」だったのか「詐欺師」だったのかは、生前から議論があり、現在も研究者の見解が分かれている。
テューダー朝側の記録は当然「詐欺師」とする。後に彼自身が「本名はヤン・ド・ウォルベーク、フランドルのトゥルネー出身」と自白したとも記録されている。しかしこの「自白」は拷問下でのものとも考えられ、証拠として扱うには限界がある。
一方、マーガレット・オブ・ヨークが7年以上にわたって彼を本物として支援し続けたことは、単なる政治利用とは説明しにくいとする研究者もいる。彼女が実際に「甥だ」と信じていた可能性を排除できない。
「もしも」の問い
もしウォーベックが本物のリチャード公爵だったとしたら——
テューダー朝の正統性の根拠が根底から覆される。ヘンリー7世は本物の王位継承者を処刑したことになり、リチャード3世の「王子殺し」という話も再検討が必要になる。
もしウォーベックが詐欺師だったとしたら——
彼は8年以上にわたって、スコットランド王・フランス王・フランドル公爵夫人という最高レベルの後援者たちを信じさせ続けた。これは「単なる詐欺師」の能力をはるかに超えている。
どちらであれ、ペルキン・ウォーベックの物語は「権力と信頼と正統性」という問いを投げかける。「誰が王であるかを決めるのは何か」——血統か、書類か、それとも信じる人々の意志か。
本稿の史実部分は、アン・ウォー著 Perkin: A Story of Deception、ラルフ・グリフィス・著 King and Country: England and Wales in the Fifteenth Century 等をもとに構成しています。ウォーベックの正体については現在も議論が続いています。
