もしも研究所

ジャンヌ・ダルク ルーアンの火刑 ――19歳で死んだ少女の最後の言葉

歴史のあやまち · 2026-10-26 · 約2,109字 · 約4分

1431年5月30日、ルーアンの広場

その朝、ジャンヌ・ダルクはルーアンの旧市場広場(ヴィユ・マルシェ広場)に引き出された。

英仏百年戦争の最中、フランス王太子シャルルに「神の啓示を受けた」として協力し、オルレアンの包囲を解いてフランス軍を鼓舞した少女は、捕虜になってから約1年の裁判を経て、「異端者・再犯者」として有罪判決を受けていた。

火刑台に縛り付けられたジャンヌは、最後まで「神の声は本物だった」と主張したとされる。炎の中で彼女が叫んだとも記録される言葉は「イエス」だった。

彼女の遺灰はセーヌ川に流された。肉体の復活が起きないようにするため、と伝えられる。

しかし復活は別の形で訪れた。わずか20年後、ジャンヌの裁判が再審され、有罪判決は取り消された。そして1920年、カトリック教会は彼女を聖人と認めた。


「声」を聞いた少女

ジャンヌ・ダルクが生まれたのは、1412年頃と考えられているが、正確な生年月日は分かっていない。フランス東部のドンレミ村の農民の家の出身だった。

彼女が「声」を聞き始めたのは13歳頃とされる。大天使ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリタの声が聞こえ、「フランスを救え」と命じられたと、後の裁判で証言している。

この証言をどう解釈するかは長年の議論の的だ。当時の文化的文脈では「神の声を聞く」ことは必ずしも異常とみなされなかったが、現代の精神医学的観点から側頭葉てんかんや統合失調症との関連を論じた研究者もいる。ただしこれらの遡及診断は確認できない仮説にとどまる。

17歳頃、ジャンヌは地元の司令官を説得し、シノン城でシャルル王太子に謁見した。彼女は王太子を見分ける「奇跡」を見せたとも伝えられる。その後、鎧を着て軍を率いてオルレアン包囲を解いたのは1429年4月のことだった。


裁判の構造

ジャンヌが捕虜になったのは1430年、コンピエーニュの戦いでのことだ。ブルゴーニュ派に捕まり、身代金と引き換えにイングランドに引き渡された。その後、ルーアンでのイングランド支配下の教会裁判が始まった。

裁判の議事録は後世に伝わっており(ラテン語の公式記録)、彼女の証言が比較的詳しく残っている。これは中世の民衆、とりわけ女性についての記録としては極めて稀なことだ。

裁判の問題点は多岐にわたる。ジャンヌは弁護人なしで審問を受け、法学・神学の訓練を受けた聖職者たちの複雑な質問に答えることを強いられた。「魔女狩り」的な予断が審問者たちにあったことは現代の研究者がほぼ同意している。彼女の「声」の真偽よりも、政治的に有罪にすることが目的だったとみなされている。


20年後の再審と名誉回復

1456年、フランス国王シャルル7世(かつてジャンヌが王位につかせた人物)の要請で再審が行われた。1431年の裁判は「手続き上の瑕疵があり無効」と判断され、ジャンヌの名誉は回復された。

この再審が行われた背景には、英仏百年戦争が1453年に終結し、フランスが勝利したという政治的文脈がある。「神の啓示を受けた少女」をフランス勝利の象徴として正当化することは、国家的な意義があった。

その後19世紀のフランスでは、ジャンヌはナショナリズムの象徴として大々的に復権した。左派・右派を問わず様々な政治勢力が彼女のイメージを利用しようとした歴史は、今もフランスで続いている。


もしも裁判で生き延びていたとしたら

もしジャンヌが火刑を免れ、例えば修道院に幽閉されて生涯を閉じたとしたら、彼女の歴史的影響力はどうなっていたか。

一つの見方: 殉教しなかったジャンヌは、「神の啓示」の主張を維持し続けることが難しかっただろう。修道院での長い沈黙は、彼女を「過去の事件の当事者」として徐々に忘れ去らせた可能性がある。

別の見方: 生きたジャンヌは依然として象徴的存在であり得た。フランス軍の士気を高め続けた可能性もある。しかし「殉教者」ほど強力な象徴にはなりにくかっただろう。

歴史の皮肉として、ジャンヌを処刑したことは、彼女を神話的な存在に押し上げた。焼かれた灰を川に流した者たちは、それでも記憶を消せなかった。


「19歳の少女」という問い

裁判記録が残されたことで、ジャンヌは中世の農民女性としては異例なほど「声」が記録された人物だ。しかしその声も、敵対的な審問者たちを介した記録であることを忘れてはならない。

彼女が本当に何を経験し、何を信じ、最後の炎の中で何を思ったのか——それを完全に知る術は今もない。

「神の声」が彼女に何かを伝えたかどうかは、歴史学の問いではない。しかし一人の農民の少女が、14世紀末から15世紀初頭という時代に、軍を率い、王を説得し、裁判で神学者たちと渡り合い、そして600年近くたった今も世界中で語られていること——これは確かな事実だ。


本稿の史実部分は、1431年の裁判議事録(Procès de condamnation)、1456年の再審議事録、レジーヌ・ペルヌー著 Joan of Arc: By Herself and Her Witnesses 等をもとに構成しています。諸説があります。


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