もしも研究所

ハン・ファン・メーヘレン 自らフェルメール贋作と証明した男

歴史のあやまち · 2026-07-21 · 約2,062字 · 約4分

1945年5月29日、オランダ・アムステルダム。 56歳の絵画修復師が逮捕されました。 容疑はナチス協力——オランダの国宝級美術品をドイツに売却した疑いです。 最高刑は死刑。

彼の名は、ハン・ファン・メーヘレン。 そして彼は、自分の命を救うために、奇妙な弁護を始めます。

「私が売ったのはオランダの国宝ではない。私が自分で描いた贋作だ」と。

贋作者が「自分は贋作者である」と必死に証明する——歴史を見渡しても、なかなか類例の見つからない裁判の物語です。

1. 評価されない画家

ハン・ファン・メーヘレンは1889年、オランダ東部の町デーヴェンターに生まれました。 幼い頃から絵の才能を示したと伝えられますが、彼が描いたのは古典的なオランダ黄金時代風の写実画でした。

1910年代から1920年代のヨーロッパでは、印象派、キュビズム、表現主義といった現代美術の潮流が前面に出ていた時期です。 メーヘレンは「時代遅れ」というレッテルを貼られ、批評家からは厳しい言葉を浴び続けたといわれます。 画家としての商業的成功は、ついに訪れませんでした。

彼が深い屈辱を抱いていたことは、後年の自白からも窺えます。 「評価する目を持たない批評家どもに、思い知らせてやる」——そんな趣旨の動機が、徐々に固まっていったとされます。

2. フェルメールを「発見」する

1932年頃から、メーヘレンは秘密の準備を始めたといわれます。

標的としたのは、17世紀オランダ黄金時代を代表する画家ヨハネス・フェルメール(1632-1675)。 フェルメールは現存する確実な作品が30数点ほどしかない寡作の画家で、当時の美術市場では「新しいフェルメールが見つかれば一大事」という状況がありました。

メーヘレンが狙ったのは、フェルメール作品の「失われた時期」です。 学術的に「フェルメールはこの時期、宗教画も描いていたのではないか」と推測されていた、まだ作品が発見されていない領域でした。

技術的な準備はかなり周到だったとされます。 17世紀の本物の絵画を購入して表面の絵を削り落とし支持体として使う、独自に開発した樹脂を絵具に混ぜて焼き付けることで100年以上経過した質感を再現する、当時の処方で白色顔料(鉛白)を自作する——細部の手順については後年の研究で諸説ありますが、いずれも「現代の分析に耐えるだけの古びた風合い」を作り出すための工夫でした。

そして1937年、メーヘレンは「フェルメールの幻の宗教画」とされる作品『エマオの晩餐』を世に出します。

当時のフェルメール研究の第一人者アブラハム・ブレーディウス博士は、この作品を高く評価したとされます。 「これこそ、長年探し求めていたフェルメールの宗教画である」と公式に認定したと伝えられ、作品は当時の金額で52万ギルダー(現在価値の換算には諸説ありますが、おおよそ1,000万ドル超)で美術館に売却されました。

画壇への復讐は、形のうえでは成功した——少なくとも本人はそう感じていたのでしょう。

3. ヘルマン・ゲーリングの仲間入り

1942年、第二次世界大戦下のオランダはナチス・ドイツの占領下にありました。 そしてこの年、メーヘレンは別の「フェルメール」——『キリストと姦淫の女』——を完成させ、これがアロイス・ミーデルというナチス系画商を経由して、ナチス・ドイツの ヘルマン・ゲーリング元帥 に売却されました。

ゲーリングはナチス幹部の中でも特に貪欲な美術品収集家で、占領下のヨーロッパ各地から略奪品を含む大量の美術品を集めていました。 彼はこのフェルメール「宗教画」を入手するために、自分が所有していた 略奪絵画137点 と交換したのです。

メーヘレンは、戦時下のオランダで巨額の資金を稼ぎました。 ナチス幹部にオランダの「国宝」を売り渡した男——これが終戦時、彼の名声となっていたのです。

4. 死刑を免れるための自白

1945年5月、連合国軍は オーストリアのアルタウゼ岩塩坑 で、ゲーリングが隠していた美術品コレクションを発見しました。 その中に、メーヘレンが売却した「フェルメールの宗教画」がありました。

ナチスへの協力者狩りが始まったオランダで、メーヘレンは即座に逮捕されました。 オランダ法では、戦時中に国宝を敵国に売却した者は 死刑 に処されることが定められていました。

ここでメーヘレンは、信じがたい告白を始めます。 「あれはフェルメールではない。私が描いた贋作だ」と。

裁判官と検察官は当然、これを信じませんでした。 誰もが、絞首台から逃れるための苦し紛れの言い訳だと考えたのです。

そこでメーヘレンは、決定的な提案をします。 「証明してみせます。法廷の前で、新しい『フェルメール』を描いてみせる」。

5. 法廷の前で描かれた贋作

1945年7月から12月にかけて、警察の監視と新聞記者の立会のもと、メーヘレンは6ヶ月かけて新作を完成させました。 題材は『博士たちの中の幼子イエス』——フェルメール風の宗教画です。

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