もしも、徳川慶喜が大坂で戦い続けていたら?
もしも時間 · 2026-06-14 · 約3,500字 · 約7分
慶応4年1月6日(西暦1868年1月30日)、夜。
大坂城。
鳥羽・伏見での三日間の戦いに敗れた旧幕府軍が、じりじりと大坂へ後退していくなか、15代将軍 徳川慶喜 は、わずかな側近だけを連れて城を抜け出します。なお城内には、戦える兵がまだ多く残っていたとされます。
慶喜は大坂湾から幕府軍艦 開陽丸 に乗り、1月8日(西暦1月12日)に海路で江戸へと退きました。総大将が、戦の最中に、味方の大軍を置き去りにして戦場を離れたのです。
この退却を境に、旧幕府軍は組織としての勢いを失い、戊辰戦争は新政府軍の優勢へと大きく傾いていきました。江戸に戻った慶喜は新政府への 恭順 を選び、上野・寛永寺で謹慎します。そして慶応4年3月14日(西暦1868年4月6日)、勝海舟と西郷隆盛の会談を経て、江戸無血開城 が成立しました。
「最後の将軍」が、戦わずして政権を手放した瞬間でした。
ここで、本記事の「もしも」を立てます。
もし慶喜が、あの夜に大坂城を抜け出さず、大坂で戦い続けることを選んでいたら——戊辰戦争の規模、列強の介入リスク、そして幕府が存続できた可能性は、どこがどう書き直された可能性があるだろうか?
🌀 The IF Lab 編集部より:
本記事は、史実(慶喜が大坂城を脱して江戸へ退き、最終的に恭順した)を踏まえた上で、その退却を選ばず大坂で抗戦を続けたという限定条件で反実仮想を行います。「鳥羽・伏見の戦いが起きなかった」「大政奉還がなかった」のような前提崩壊型ではありません。あくまで慶喜という一人の総大将の 進退の選択にだけ手を入れる シナリオです。なお、慶喜が大坂を去った動機については、朝敵となることを避けたとする説、戦意を失ったとする説など 複数の見方 があり、本記事でも単一の確定動機としては扱いません。
1. 実際に起きたこと(史実の確認)
鳥羽・伏見の戦いの前後の流れを、最小限に整理します。
慶応3年(1867年):政権返上から王政復古へ
- 大政奉還(慶応3年10月14日) — 徳川慶喜が政権を朝廷へ返上
- 王政復古の大号令(慶応3年12月9日) — 新政府の樹立が宣言され、慶喜は官位・領地の返上を迫られる(辞官納地)
慶応4年1月3日〜6日(1868年):鳥羽・伏見の戦い
- 大坂から京を目指す旧幕府軍と、薩摩・長州を中心とする新政府軍が、鳥羽・伏見で衝突
- 兵力は、旧幕府軍が約1万5千、新政府軍が約5千と伝わる(諸説・概数。旧幕府軍が数では優位だった)
- 会津藩兵・新選組らを含む旧幕府軍が、御香宮神社などに陣取った新政府軍と市街戦を展開
- 戦いの途中、新政府軍が 錦の御旗 を掲げ、旧幕府軍は公式に 「朝敵(賊軍)」 と位置づけられる
慶応4年1月6日〜8日:慶喜の大坂城脱出
- 1月6日夜、慶喜が大坂城を脱出
- 1月8日、海路で江戸へ退却
- これが戊辰戦争(慶応4年〜明治2年・1868〜1869)の初戦となった
その後:恭順と無血開城
- 慶喜は江戸で恭順し、上野・寛永寺で謹慎
- 慶応4年3月14日(1868年4月6日)、勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸無血開城が成立
- 抗戦は会津・東北(奥羽越列藩同盟)や、榎本武揚らの箱館(五稜郭)へと飛び火し、戊辰戦争は明治2年5月(1869年)の五稜郭開城で終結
ここで重要なのは、慶喜が退いたのは、まだ兵力と拠点(大坂城)が残っていた局面だったということです。本記事の「もしも」は、その総大将が踏みとどまっていたら何が変わり得たか——という限定条件です。
2. 分岐点 ——「朝敵」という名と、総大将の進退
慶喜の退却を理解する鍵は、「朝敵」というレッテルの重さにあるとされます。
錦の御旗が掲げられ、旧幕府軍が「賊軍」と位置づけられた瞬間、戦いの性格は一変しました。慶喜が抗戦を続ければ、それは「将軍と新政府の戦い」ではなく、「朝廷に弓を引く逆賊の戦い」になってしまう。水戸藩に生まれ、尊王の思想を強く受けて育ったとされる慶喜にとって、朝敵となることは耐えがたい選択だった——これが、退却の動機としてよく語られる説です。
ただし、戦意そのものを失っていたとする見方、味方を見捨てたとする厳しい評価もあり、動機を一つに断定することはできません(諸説あり)。
IFの前提
ここでの「もしも」を、具体的に絞ります。
慶応4年1月6日、慶喜が大坂城を脱出せず、残存兵力と大坂城を拠点に 抗戦を継続することを選んでいたら——。
これは「朝敵となるリスクを引き受けてでも、総大将が戦場に踏みとどまったら」という条件です。
過大評価への注意
ただし、ここで強くhedgeしておく必要があります。
- 兵力では旧幕府軍が優位でしたが、鳥羽・伏見では 数で勝る旧幕府軍が敗れています。指揮系統の混乱、装備や戦術の差、士気の問題など、複数の要因が指摘されており、「兵が多ければ勝てた」という単純な話ではありません
- 「朝敵」の烙印は、戦況以上に 諸藩の去就 を左右しました。日和見だった藩が新政府側に傾く流れは、慶喜一人の進退で簡単に止まるものではなかった可能性があります
- 慶喜が抗戦を続けたとして、それが幕府の「勝利」に直結するわけではありません。本記事は慶喜抗戦を「幕府が逆転した」という英雄譚にはしません
したがって本記事は、一人の総大将の進退が、戦争の規模・期間・性格にどの程度の幅を与え得たか を、控えめに見積もる立場をとります。
3. 世界はどう変わるか(短期・中期・長期)
短期(1868年・戊辰戦争前半):内戦の長期化
慶喜抗戦の世界線で、まず影響が出得るのは 戦争の規模と期間 です。
- 史実では、総大将の離脱によって旧幕府軍は急速に瓦解しました。逆に慶喜が大坂で踏みとどまれば、残存兵力が組織として戦い続け、畿内での戦闘がより長く・激しくなった可能性があります
- 大坂城という巨大な拠点を背に抗戦すれば、新政府軍は短期決戦を狙えず、戦線が膠着した可能性があります
- ただし「朝敵」の旗印は変わらないため、時間が経つほど諸藩の離反が進み、長期戦になるほど旧幕府側が不利になるという逆方向の力も働きます。短期で見ても、抗戦継続が勝利を意味するとは限りません
中期(1868〜1869年):列強介入のリスク
内戦が長期化・激化した場合、最も警戒すべきなのが 列強の介入 です。
- 史実の戊辰戦争では、英仏など列強は基本的に 局外中立 の立場をとりました。一方で、フランスはジュール・ブリュネら士官の派遣などで旧幕府側に近く、イギリスはトーマス・グラバーらを通じた武器供給などで新政府側に近い、という温度差があったとされます(関与の度合いには議論があります)
- もし内戦が長期化し、旧幕府(フランス寄り)と新政府(イギリス寄り)の 代理戦争的な色彩 を強めていたら、列強がそれぞれの陣営への関与を深めるリスクがあった——という論点は、検討に値します
- 同時代のアジアでは、清がアヘン戦争・アロー戦争で半植民地化へ向かい、各地が列強の草刈り場になっていました。日本の内戦が長引くことは、そのリスクに身をさらす時間が延びることを意味した可能性があります
ただし、列強が実際に大規模介入に踏み切ったかは別問題です。各国とも自国の事情を抱えており、介入はあくまで リスクとして高まった という見積もりが穏当でしょう。
長期(明治へ):幕府は存続できたか
最も慎重に語るべきなのが、この長期です。
- 慶喜が抗戦を続けても、「徳川を中心とした旧体制」が存続できた見込みは、やはり薄かったと考えられます。大政奉還・王政復古ですでに政権の正統性は朝廷へ移っており、軍事的に巻き返しても、時計を江戸時代へ戻すのは難しかった
- 一方で、抗戦の結果として徳川家が完全に「賊軍」として処断されていれば、史実のような 徳川宗家の存続(後の徳川慶喜の公爵叙任など) すら危うくなった可能性があります。つまり抗戦は、幕府を救うどころか 徳川家の立場をさらに悪化させたかもしれません
- 内戦長期化が列強介入を招いていれば、最悪のシナリオでは 日本が清のような半植民地化の道 に近づいた可能性も、ゼロとは言い切れません。ここは強くhedgeすべき推論です
つまり長期では、「慶喜が戦い続けても幕府が存続できたとは考えにくく、むしろ内戦の長期化と列強介入リスクという形で、日本全体の代償が大きくなった可能性がある」という、抑制的だが厳しい結論 が穏当だと考えます。
4. 史実では、なぜ起きなかったか
ここで、史実に戻ります。
慶喜が大坂で戦い続けなかった背景を、リアリティチェックとして整理しておきます。
- 「朝敵」回避の優先:錦の御旗によって賊軍とされたことが、尊王思想の強い慶喜に決定的な影響を与えたとされます。朝廷と全面的に戦う立場に立つことを、慶喜は最後まで避けようとした、という見方が有力です(諸説あり)
- 恭順という選択肢の合理性:抗戦を続けても勝算が乏しいと判断した場合、早期に恭順して徳川家の存続を図るほうが、現実的な利益が大きい——という計算が働いた可能性があります。結果として徳川宗家は存続し、慶喜自身も明治を生き抜きました
- 内戦長期化を望まない圧力:江戸無血開城の成立には、徳川一門・和宮らの嘆願に加え、内戦の拡大を望まないイギリスの要請 などもあったとされます。当時の国際環境そのものが、早期収束を後押しする方向に働いていました
つまり、慶喜の退却と恭順は単なる臆病ではなく、朝敵化の重圧 + 徳川家存続の計算 + 早期収束を求める内外の圧力 という条件が重なった結果であり、後世から「もし戦い続けていたら」を立てやすい事件になっている——という整理が、現代の標準的な見方に近いと思います。
5. ありえた世界線——もう一つの『1868年』
仮に、慶喜が大坂で戦い続けていたら——その後の日本史は、おそらく次のような特徴を わずかに、あるいは大きく 帯びたかもしれません(英雄譚に寄せすぎないよう、控えめに記します)。
- 1868年前半:畿内での戦闘が長期化し、戊辰戦争が史実より大規模・長期の内戦になった可能性
- 諸藩の去就:「朝敵」の旗印が変わらないため、時間とともに旧幕府側の離反が進んだ可能性
- 列強関係:仏寄りの旧幕府と英寄りの新政府の対立が、代理戦争的な色彩を強め、列強介入リスクが高まった可能性
- 徳川家の処遇:抗戦の結果、徳川宗家の存続すら史実より危うくなった可能性
- 幕府の存続:軍事的に巻き返しても、旧体制をそのまま復活させるのは困難だったと考えられる
- 最悪の場合:内戦長期化と列強介入が重なり、日本の独立そのものに影が差した可能性(強くhedge)
これは「もし」の限定条件下で導いた一つの解釈にすぎず、史実とは異なります。そして、ここで挙げたいずれもが 確定ではなく可能性 であることを、改めて強調しておきます。慶喜が戦い続けることが幕府を救ったとは考えにくく、むしろ 日本全体が払う代償のほうが大きくなったかもしれない——その逆説こそが、この「もしも」の核心だと考えます。
6. 最後の問い
歴史を変えるのは、一人の総大将が戦場に踏みとどまるかどうかそのものではなく、「何のために、いつ退くか」という判断が、次に何を守るのか ——という、もっと静かな選択だったのかもしれません。
慶喜が大坂で見せたのは、勝てる兵を抱えながら退くという、武人としては不名誉とも映る決断でした。後世、彼は長く「逃げた将軍」として語られてきました。しかし、その退却が結果として内戦の早期収束を早め、徳川家の存続と、列強につけ込む隙を与えない国家の再建につながった——という評価も、いまでは存在します。
だとすれば、問われているのは「もし慶喜が戦い続けていたら」ではなく、勝てるかもしれない戦いを、より大きな損失を避けるために手放せるかどうか ——なのかもしれません。
私たちもまた、目の前の勝ち負けの先にあるものを見て、引くべきときに引く許可を、自分に与えているでしょうか。
この「もしも」を、別角度で楽しむ
鳥羽・伏見の戦いと徳川慶喜の進退は、漫画・歴史小説・映画でも多角的に描かれてきました。本記事の反実仮想と読み比べると、幕末の人物像と創作イメージの差分が、より立体的に見えてきます。
- 小説『最後の将軍 徳川慶喜』(司馬遼太郎・文藝春秋) — 「逃げた将軍」とも評される慶喜の内面を描いた歴史小説。本記事が扱った退却の動機(朝敵回避か、戦意喪失か)を、創作の視点から考える入り口として、史実との差分を意識しながら読むと面白い。
- 漫画『お~い!竜馬』『JIN-仁-』など幕末作品 — 鳥羽・伏見や戊辰戦争の前後を背景に持つ作品は多く、当時の畿内・江戸の空気をつかむ入り口として。創作部分と史実を切り分けて読むのが楽しい。
- 書籍 幕末史・鳥羽伏見の戦いの関連解説書 — 兵力差の実態、錦の御旗の効果、慶喜退却の諸説など、一次資料・近年の研究に触れる。
映像で深掘りする選択肢
徳川慶喜・幕末を題材にした大河ドラマや時代劇は、NHKをはじめ民放各局でも繰り返し制作されてきました。スカパーの時代劇専門チャンネルでは、過去の大河ドラマ・時代劇作品が放送・配信されており、ひとつの選択肢として挙げておきます。
🌀 編集部メモ:
本記事は反実仮想(歴史IF)です。事実関係は幕末・維新期の通説と近年の研究を参照していますが、解釈・推論部分は IF Lab 編集部の独自整理です。鳥羽・伏見の戦いの兵力(旧幕府軍約1万5千・新政府軍約5千)は概数であり諸説あります。慶喜が大坂城を脱した動機(朝敵回避説・戦意喪失説など)、列強の関与の度合いについても、いずれも諸説あり、史料的な議論があります。
📚 諸説ある題材です
鳥羽・伏見の戦いの兵力差、錦の御旗が諸藩の去就に与えた影響の大きさ、慶喜が大坂城を脱出した動機、そして戊辰戦争における英仏など列強の関与の度合い——いずれも、研究者の間で諸説あります。本記事では、確定できない事項は hedge する立場を一貫してとり、「慶喜が戦い続ければ幕府が救われた」という単純な逆転劇には寄せていません。
※別の解釈・反論も歓迎しています。気持ちよく読める形でいただけると嬉しいです。
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note では語りきれない短編コラムを、サイトでも少しずつ公開しています。
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