もしも、関羽が樊城で敗れず荊州を保っていたら?
もしも時間 · 2026-06-14 · 約3,200字 · 約7分
後漢・建安24年(西暦219年)、秋。
長江中流域、襄陽・樊城。
その年、劉備 は漢中をめぐる攻防で曹操を退け、漢中王 を称しました。これに呼応するように、荊州を任されていた 関羽 は前将軍として軍を北へ動かし、曹操配下の曹仁が守る樊城を包囲します。折からの長雨で漢水が氾濫し、救援に来た 于禁 の七軍が水没——関羽はこれを降し、抵抗を続けた 龐徳 を斬りました。世に言う 「水淹七軍(すいえんしちぐん)」 です。関羽の威名はこのとき「華夏を震わせた」と『三国志』は記し、曹操が一時は本拠の遷都すら検討したと伝わるほどでした。
ところが、ここからが暗転でした。曹操は 徐晃 を援軍に送って樊城の囲みを緩めさせる一方、孫権と通じます。荊州の留守を預かる呉の 呂蒙 は、兵を商人に偽装して長江をさかのぼる 「白衣渡江(はくいとこう)」 で守りの隙を突き、関羽に反感を抱いていた南郡太守の 糜芳(びほう) と公安の守将 士仁 が戦わずして降伏。関羽は背後の本拠地を一気に失います。北の樊城を抜けず、南の荊州も失った関羽は、麦城へ退いたのち脱出を図る途中、臨沮で呉軍に捕らえられ、子の関平とともに斬られました(219年末)。
ここで一点、はっきり切り分けておきます。『三国志演義』(明代の小説)に描かれる 「単刀赴会」の豪胆・華佗による「刮骨療毒(骨を削る治療)」・呂蒙への祟り などの劇的な挿話は、後世の創作や脚色の要素が大きく、史書『三国志』(陳寿撰・西晋成立)とその裴松之注とは性格が異なります。本記事は、確実な史実(関羽の北伐・水淹七軍・徐晃の援軍・呂蒙の白衣渡江・糜芳らの離反・関羽の敗死)を土台に話を進めます。
ここで、本記事の「もしも」を立てます。
もし関羽が樊城で敗れず——あるいは荊州の守りを呂蒙に突かれず、荊州を保ったまま 健在だったら。蜀漢の運命と三国の構図は、どう書き直されただろうか?
🌀 The IF Lab 編集部より:
本記事は、史実(関羽が荊州を失い敗死した)を踏まえた上で、その結果が反転していたらという限定条件で反実仮想を行います。「関羽が天下を取った」「孫権が滅んだ」のような前提崩壊型ではありません。あくまで 荊州の維持 という一点にだけ手を入れるシナリオです。
1. 実際に起きたこと(史実の確認)
樊城前後の流れを、最小限に整理します。
219年・関羽の絶頂
- 劉備が定軍山の戦い(219年)で曹操配下の夏侯淵を破り、漢中を確保。劉備は漢中王を称する
- 関羽は前将軍として荊州の軍権を握り、北上して襄陽・樊城を包囲
- 漢水の氾濫で于禁の七軍が水没、関羽が于禁を降し龐徳を斬る(水淹七軍)
- 関羽の威勢は「華夏を震わせる」とされ、曹操は対応に苦慮
219年・背後を突かれる
- 曹操は徐晃を援軍に送り、樊城の囲みを破らせる
- 曹操と孫権が連携し、呉の呂蒙が荊州の手薄を突く
- 呂蒙が兵を商人に偽装して進む 白衣渡江 で守備を無力化
- 南郡太守の糜芳、公安の士仁が関羽に背いて降伏し、荊州の本拠が陥落
戦後の流れ
- 関羽は麦城へ退却、脱出途中の臨沮で捕らえられ斬られる(219年末)
- 荊州は孫権(呉)の手に渡り、呉蜀同盟は事実上決裂
- 劉備は「関羽の弔い」と「荊州奪還」を掲げ、222年に呉へ親征(夷陵の戦い)
- 劉備は陸遜に大敗、翌223年に病没。蜀漢は荊州を永久に失う
ここで重要なのは、荊州の喪失こそが、諸葛亮の構想した二正面戦略を根底から崩した という点です。本記事の「もしも」は、この 荊州の維持 という一点に絞った限定条件です。
2. 分岐点 ——『荊州喪失』の現実性
関羽が荊州を失った要因として、史料・研究がしばしば挙げるのは、おおむね次の三つです。
- 二正面の過負荷:関羽は樊城攻めという攻勢と、荊州の守備という防御を、一人で同時に背負っていた。北へ深入りすればするほど、背後の守りは薄くなる構造だった
- 同盟の油断:呉とは赤壁以来の同盟関係にあったが、荊州の帰属をめぐる対立はくすぶっていた。関羽が呉を軽んじ、呂蒙の偽装(白衣渡江)を見抜けなかったことが致命傷になった
- 内部の離反:兵站を担う糜芳・士仁が関羽に反感を抱いており、いざというとき戦わずに降伏した。前線の武威だけでは、後方の人心までは固められなかった
逆に言えば、もしこれらの不利が一段階だけ緩和されていたら——という条件で「もしも」を絞れます。
IFの前提
ここでの「もしも」を、具体的に絞ります。
関羽が樊城攻めにあたって、(a)後方の荊州に十分な守備を残し、(b)呉の動きへの警戒を一段階高く保っていたら——白衣渡江による奇襲が不発に終わり、糜芳・士仁の離反も起きず、関羽が 荊州を保ったまま 健在だったら。
これは「関羽の後方への配慮と対呉警戒が、ほんの一段階だけ高かったら」という条件です。孫権や呂蒙の存在そのものを消す前提ではなく、荊州が維持できたか否か の一点に絞っています。
変化の確率
編集部として、この「もしも」が実際に起きていた確率を評価すると——
-
中程度(★★★☆☆):呂蒙の奇襲は周到でしたが、関羽がもう少し兵を後方に残し、糜芳・士仁の不満を早めに解消していれば、奇襲そのものが成立しにくくなった可能性はあります。荊州維持は「一段階の備え」で十分に手が届く範囲だった、という見方は古くからあります。
-
ただし、北の樊城も同時に抜けたかと言えば話は別です。徐晃の援軍は精強で、関羽が荊州を守りきっても 樊城そのものは陥とせなかった 公算が高い。本記事の「もしも」は、あくまで 荊州を失わなかった ところまでを射程とします。
本記事の「もしも」は、起きていたら蜀漢の寿命と三国史の形を左右し得た——いわゆる 高インパクト 型の反実仮想です。
3. 世界はどう変わるか(短期・中期・長期)
短期(219〜222年頃):夷陵の戦いが起きない世界
関羽が荊州を保ち健在だった場合、まず消えるのは 夷陵の戦い(222年) です。
史実の劉備は、関羽の弔いと荊州奪還を掲げて呉へ親征し、陸遜に大敗しました。この敗北で蜀漢は精鋭と将を多く失い、翌年には劉備自身が病没します。関羽が荊州を保っていれば、劉備が呉へ大軍を傾ける動機そのものが生まれません。
つまり関羽の生存は、関羽一人の命 にとどまらず、夷陵で失われた蜀漢の国力・人材・そして劉備の余命 まで、まとめて温存し得たことになります。
中期(220年代〜):隆中対の二正面戦略が生き続ける
諸葛亮が劉備に説いた 「隆中対(天下三分の計)」 の核心は、荊州と益州の二方面から、機を見て同時に北へ攻め上がる という構想でした。荊州を失ったことで、この戦略は片肺飛行に追い込まれ、諸葛亮の北伐は益州(漢中)からの一方面に限定されます。
関羽が荊州を保っていれば、
- 荊州(南からの宛・洛陽方面)と益州(西からの長安方面)の 二正面同時侵攻 が選択肢として残る
- 関羽という名将が、北伐の一翼を担い続ける
- 呉との同盟を維持できれば、魏は東(呉)・南(蜀の荊州軍)・西(蜀の益州軍)の三方面に備えを強いられる
史実の諸葛亮は、たった一方面の出口(漢中→秦嶺山脈の難路)から、補給に苦しみながら北伐を繰り返しました。二方面が生きていれば、魏に与える圧力の質は明確に変わったはずです。
長期(3世紀以降):それでも統一は容易ではない
ここが、本記事のひねりです。
荊州を保てば蜀漢は確かに強靭になりますが、それで 魏を打倒し天下を統一できたか と言えば、話は単純ではありません。
- 魏の国力(人口・経済・領域)は、蜀・呉を合わせてもなお大きく上回っていた。二正面が生きても、地力の差は埋めがたい
- 荊州は 呉にとっても喉元 であり、蜀が荊州を保てば、今度は呉との同盟が別の火種を抱える。呉蜀が荊州をめぐって再び衝突するルートも十分にあり得た
- 二正面作戦は理論上は強力でも、荊州軍と益州軍の連携(距離・指揮系統・補給)を実際に成立させる難度は高い
つまり「荊州さえ保てば蜀が勝った」という単純な話ではなく、蜀漢の延命と北伐の選択肢拡大 までは堅く言える一方、統一の達成 はなお別の困難の山が待っていた——というのが、本記事の到達点です。
4. 史実では、なぜ起きなかったか
ここで、史実に戻ります。
関羽が荊州を保てなかった理由を、リアリティチェックとして整理しておきます。
- 攻防の同時負担:関羽は樊城という攻めと、荊州という守りを一人で抱えた。北で勝てば勝つほど、後方が手薄になる構造的なジレンマがあった
- 対呉警戒の甘さ:呉とは同盟関係にあったが、荊州の帰属をめぐる緊張は残っていた。呂蒙の白衣渡江という偽装を見抜けず、奇襲を許した。人為の警戒で防ぎ得た部分だが、現実には間に合わなかった
- 後方人心の離反:兵站を担う糜芳・士仁が関羽に反感を抱いており、いざというとき戦わず降伏した。前線の武威は、後方の人心までは固めきれなかった
なお、『三国志演義』が描く 関羽の祟りや、刮骨療毒(骨削り)の超人的な逸話 は、後世の創作・脚色の色彩が濃く、史書の記述とは切り分けて考えるべきです。関羽の人物像(誇り高く、武に優れる一方、味方への配慮を欠く面があった)についても、評価には諸説あります。
つまり、関羽の敗北は単なる油断ではなく、二正面の過負荷 + 対呉警戒の甘さ + 後方の離反 という複数条件が重なった結果であり、後世から「もし」を立てやすい局面になっている——という整理が、標準的な見方に近いと思います。
5. ありえた世界線——もう一つの『219年』
仮に、すべての条件が揃って、関羽が荊州を保ったまま健在だったら——その後の蜀漢と三国史は、おそらく次のような特徴を持ったはずです。
- 219年前後:関羽が荊州を維持し、樊城からは撤退するも本拠は失わない
- 222年の 夷陵の戦いが起きず、蜀漢の国力・人材・劉備の余命が温存される
- 諸葛亮の 二正面北伐(荊州+益州) が、戦略の選択肢として生き続ける
- 呉蜀同盟が維持できれば、魏は東・南・西の 三方面に備えを強いられる
- ただし魏の地力は依然大きく、統一の達成は別の困難 が残る
- 荊州をめぐって、呉蜀が再び衝突するリスク も新たに生まれる
これは「もし」の限定条件下で導いた一つの解釈にすぎず、史実とは異なります。ただ、荊州という 一地方の維持 が、その後の蜀漢の寿命と北伐の形を別物に組み替えた可能性は、十分にあり得たということです。
6. 最後の問い
歴史を変えるのは、巨大な王朝の興亡だけではなく、一人の名将が、前線の勝利に酔ったとき、背後をどれだけ気にかけられたか ——という、極めて細い分岐点だったのかもしれません。
関羽は樊城で于禁を降し、その威名は華夏を震わせました。まさにその絶頂の瞬間に、彼は背後の荊州を、味方の人心を、同盟者の野心を——少しだけ、見落としていたのかもしれません。
しかし、もしあの秋、関羽が荊州にもう一段の守りを残していたら。 そして、商人に化けて漕ぎ上がる小舟を、ほんの少しだけ疑えていたら——。
両者を分けたのは、武勇や兵数だけではなく、勝っている最中に、背後の弱みをどこまで想像できたか ——だったのかもしれません。
私たちもまた、最も調子のいいときにこそ、足元と背後を見落としてはいないでしょうか。
この「もしも」を、別角度で楽しむ
関羽と荊州・三国時代は、漫画・歴史小説・映画でも多角的に描かれています。本記事の反実仮想と読み比べると、後漢末の判断構造がより立体的に見えてきます。なお、作品の多くは史書『三国志』ではなく小説『三国志演義』を下敷きにしている点に留意すると、史実との差分が見えてきます。
- 漫画『蒼天航路』(原作・李學仁/作画・王欣太・講談社) — 後漢末を曹操視点で骨太に描き、樊城・荊州攻防も独自の角度で扱う。関羽を「敵側から」見る視点は、本記事の反実仮想の出発点として有用。
- 小説『三国志』(吉川英治)/『三国志』(陳舜臣) — 演義系の物語と、史実寄りの語りを読み比べられる定番。関羽の最期と荊州喪失をどう描くかの差分が見える。
- 書籍『正史 三国志』(陳寿)現代語訳・関連解説書 — 一次資料そのものに触れ、演義との差分を確かめる。関羽伝・呂蒙伝・陸遜伝を読み比べると、荊州攻防の構図が立体的になる。
映像で深掘りする選択肢
関羽・三国時代を題材にした映画やドラマは、日本・中国の双方で繰り返し制作されてきました。スカパーの時代劇専門チャンネルでは、歴史・時代劇作品が放送・配信されており、ひとつの選択肢として挙げておきます。
🌀 編集部メモ:
本記事は反実仮想(歴史IF)です。事実関係は『三国志』(陳寿)とその裴松之注・現代の三国時代研究を参照していますが、解釈・推論部分は IF Lab 編集部の独自整理です。関羽の敗因(二正面の過負荷・対呉警戒の甘さ・後方の離反)、荊州維持の現実性、二正面北伐の有効性——いずれも諸説あります。『三国志演義』由来の創作(刮骨療毒・関羽の祟りなど)は史実とは切り分けています。
📚 諸説ある題材です
樊城の戦いの正確な経緯、関羽の兵力と意図、糜芳・士仁が離反した理由、関羽が斬られた正確な時期(219年末か220年初頭か)、そして『三国志演義』が描く名場面の数々の史実性——いずれも、研究者の間で諸説あります。本記事はその中で、現在の標準的な整理(史書『三国志』とその裴松之注を一次資料として最重視し、小説『三国志演義』の創作との差分を hedge する)を採用しています。
※別の解釈・反論も歓迎しています。気持ちよく読める形でいただけると嬉しいです。
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note では語りきれない短編コラムを、サイトでも少しずつ公開しています。
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