リンカーン フォード劇場の貴賓席 ――1865年4月14日、終戦5日後の銃声
最期のページ · 2026-06-09 · 約2,500字 · 約6分
戦争が、ようやく終わったばかりの春だった。 劇場の二階、星条旗で飾られた貴賓席に、大統領は座っていた——。
1. アポマトックスから5日後
1865年4月9日、バージニア州アポマトックス・コートハウスで、南軍のロバート・E・リー将軍が、北軍のユリシーズ・S・グラント将軍に降伏文書を渡したとされます。4年に及んだ南北戦争は、これで事実上の終結を迎えました。首都ワシントンDCは祝賀ムードに包まれ、政府の建物には灯火が掲げられ、夜空には花火が上がったと伝えられています。
その5日後、4月14日金曜日。キリスト教会暦でいう「聖金曜日(Good Friday)」にあたるこの日、第16代大統領エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln, 1809–1865)は閣議を主宰し、戦後の南部再建(Reconstruction)について議論したと記録されています。彼が掲げていたのは、敗者である南部諸州を厳しく罰するのではなく、可能なかぎり穏当に連邦へ復帰させる路線でした。
夜、リンカーン夫妻はワシントン中心部のフォード劇場(Ford's Theatre)で、英国の喜劇『Our American Cousin(我らがアメリカの従兄弟)』を観劇する予定が入っていました。本来同席するはずだったグラント将軍夫妻は、家族の事情を理由に直前で辞退したとされます。代わりに招かれたのが、若い陸軍将校ヘンリー・ラスボーン少佐と、その婚約者クララ・ハリスでした。
劇場の二階・舞台向かって右手の大統領席(State Box)は、当夜のためにふたつの貴賓席をぶち抜いて広く設えられ、星条旗とジョージ・ワシントンの肖像で装飾されていたと、現地保存館の解説に記されています。一行が到着したのは21時を過ぎたころで、すでに開演中だった舞台はいったん中断され、楽団が「Hail to the Chief」を演奏して大統領を迎えたと伝えられています。
警護にあたっていたのは、ワシントン首都警察のジョン・パーカー巡査でした。彼は休憩時間に席を離れ、後に隣の酒場に立ち寄っていたとも言われています。観劇中、大統領席の控え扉の前は、結果として無人になっていた時間帯があったと記録されています。
2. ジョン・ウィルクス・ブース ――俳優兼南部工作員
その夜、劇場の構造をいちばんよく知っていたのは、おそらく観客でも警備でもなく、暗殺者本人でした。
ジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth, 1838–1865)は、メリーランド州出身の俳優で、当時の米国で最も人気のあった舞台俳優の一人だったとされます。父も兄も俳優という名門の出で、フォード劇場の常連でもありました。一方で彼は熱烈な南部支持者・奴隷制擁護者であり、北部の勝利と、リンカーンが示唆していた一部の黒人への投票権付与に強い敵意を抱いていたと伝えられています。
ブースは当初、リンカーンを誘拐してリッチモンドへ連行し、南軍捕虜と交換するという計画を温めていたとされます。しかし4月9日の降伏で、その計画は成立しえなくなりました。降伏の二日後、リンカーンがホワイトハウスのバルコニーから「一部の黒人男性、特に従軍した者には選挙権を与えるべきだ」と演説したと伝えられる夜、群衆のなかにはブースもいたと言われています。「これが彼の最後の演説になる。私が必ずそうしてみせる」と漏らしたと、後年の伝記類は記しています。
計画は誘拐から暗殺へ書き換えられました。標的はリンカーンだけでなく、副大統領アンドリュー・ジョンソン、国務長官ウィリアム・スワード——政権中枢を同時刻に襲い、北部政府を機能停止に追い込む、というシナリオでした。ブースは4月14日の昼、フォード劇場に立ち寄って当夜の上演演目とリンカーン来場の予定を確認し、貴賓席の扉につっかえ棒として使う角材を、あらかじめ廊下に仕込んだとされます。
劇場の従業員にとって、ブースは「いつもの俳優ブースさん」でした。出入りを誰も止めなかった、というより止めようがなかったことが、その夜の警備のもう一つの穴になっていきます。
3. デリンジャーの一発、ステージへの跳躍
22時過ぎ、第三幕の二場目。舞台では「Our American Cousin」の主人公が、皮肉のきいた台詞を吐き、客席が一斉に笑いに包まれた瞬間だったと伝えられています。
ブースは大統領席の控え扉から侵入し、内側からつっかえ棒で扉を封じた上で、本席の扉を開けました。手にしていたのは、フィラデルフィア・デリンジャー単発拳銃——全長およそ6インチ(銃身長は約2.5インチ)、口径.41の小型黒色火薬拳銃で、一発しか撃てない代わりに袖口に隠せる類のものです。至近距離から、リンカーンの左後頭部に向けて引き金が引かれました。時刻はおおむね22時15分前後と記録されています(諸説あり、22時13分とも、もう少し遅いとも伝えられます)。
銃声に振り向いたラスボーン少佐がブースに飛びかかりますが、ブースは短刀でこれを切りつけ、少佐の左腕に深い裂傷を負わせました。そのまま彼は貴賓席の手すりから、舞台へ約3.5メートル(おおむね11〜12フィート)を飛び降りたとされます。このとき拍車が貴賓席を飾っていた旗布に絡んで、着地に失敗し、左足腓骨を骨折したと伝えられています(この骨折が逃亡を遅らせる致命的な遅延要因になります)。
舞台の中央に立ち上がったブースは、客席に向かって「Sic semper tyrannis!(暴君には常にこうある)」と叫んだとされます——バージニア州の標語であり、共和制ローマで暴君殺害を正当化する文句として知られた一句です。続けて「南部は復讐された」とも叫んだ、と複数の目撃者が証言したと記録されています。
俳優ブースが舞台に現れ、決め台詞を口にする。観客の多くは一瞬、芝居の演出かと思ったとも伝えられています。そのまま彼は舞台袖から裏口へ抜け、用意しておいた馬に乗ってワシントン市街を脱出しました。
4. ピーターセン・ハウスでの一晩、そして12日間の逃亡
撃たれたリンカーンは意識を失ったまま、劇場の向かいに立つ下宿屋ピーターセン・ハウスの一室へ運ばれました。当夜の医師たちは銃弾を摘出することはできず、創部から脳実質に至る損傷が深いことから、回復は望みがたいと判断したとされます。
部屋にはやがて、陸軍長官エドウィン・スタントン、副大統領アンドリュー・ジョンソン、閣僚、医師団、メアリー・リンカーン夫人らが詰めかけました。リンカーンは長身でこの部屋のベッドに収まりきらず、対角線上に斜めに寝かされたと記録されています。1865年4月15日、午前7時22分、息を引きとったとされます。スタントンが残したと伝えられる「Now he belongs to the ages(彼はもう、永い時のものとなった)」という一言は、その後米国史に深く刻まれていきました。
同じ夜、共謀者ルイス・パウエルは国務長官スワードの自宅を襲撃し、寝室で病気療養中のスワードを刺したとされます。スワードは重傷を負いながらも生き延びました。副大統領ジョンソンを狙うはずだったジョージ・アツェロットは実行に踏み切れず、ホテル周辺をうろついただけだったと伝えられています。同時多発の政権中枢襲撃というブースの構想は、結果としてリンカーン一人の暗殺にとどまった、と整理されています。
ブース自身は左足の骨折を抱えたまま、共犯者デイヴィッド・ヘロルドとともに南へ逃亡しました。途中、メリーランド州のサミュエル・マッド医師の家で添え木を当ててもらったと記録されています。北軍は数千人規模で追跡網を敷き、12日間の追跡の末、4月26日未明、バージニア州ボーリンググリーン近郊のギャレット農場の煙草納屋でブースを包囲しました。納屋に火が放たれ、内部からブースが姿勢を変えた瞬間、ボストン・コーベット伍長が発砲し、ブースは首に銃弾を受けて数時間後に死亡したと伝えられています。
捕らえられた共謀者のうち、メアリー・サラット(下宿屋経営者・米国で初めて連邦政府により絞首刑にされた女性とされます)、ルイス・パウエル、デイヴィッド・ヘロルド、ジョージ・アツェロットの4名は、軍事裁判の末、1865年7月7日、ワシントンのオールド・アーセナル刑務所で絞首刑に処されました。リンカーンは、米国大統領で初の暗殺被害者となりました。
「もしも」の問い
もし4月14日の夜、ジョン・パーカー巡査が貴賓席の前を離れていなかったら——。 もしブースの拍車が、舞台へ飛び降りた瞬間に旗布へ絡まず、彼が無傷で逃げおおせていたら——。 あるいは、そもそも観劇の予定が、その日に組まれていなかったら——。
リンカーンは1864年の再選から、まだ任期2期目の40日余りしか経っていませんでした。彼が構想していた南部再建は、敗者を屈服させるのではなく、可能な範囲で寛容に連邦に戻す——という路線だったと伝えられています。後を継いだジョンソン政権はその路線を保てず、南部諸州では旧支配層が議会を取り戻し、解放奴隷の権利を制限する法令(Black Codes)が次々と整えられていきます。連邦軍主導の再建期は1877年に打ち切られ、南部では人種隔離の制度が固着化していきました。米国社会で人種統合の議論が再び大きく前へ動くのは、1960年代の公民権運動を待つことになります。
一夜の銃声が、その後の100年を変えた、と言われるゆえんです。 舞台で笑いが起きた、その同じ瞬間に。
参考・出典
- Ford's Theatre — Lincoln Assassination — 暗殺現場保存館の公式解説
- Library of Congress — Abraham Lincoln Papers / Assassination collection — 一次史料・新聞記事原本
- National Park Service — Ford's Theatre National Historic Site — 現地保存と当夜の動線解説
