もしも研究所

エッフェル塔を売った男 ヴィクトル・ルスティク

歴史のあやまち · 2026-07-17 · 約2,127字 · 約4分

導入

1925年5月、パリ。 五人の鉄スクラップ業者が、シャン・ド・マルス公園を見上げていました。 彼らの隣には、フランス政府の役人を名乗る紳士が立っています。 紳士は、彼らに向かって言いました。 「エッフェル塔は、解体されることになりました」

塔の高さ300メートル、重さ7,300トン。 五人の男たちの目に映ったのは、巨大な「鉄屑」でした。

1. 詐欺師の生い立ち

ヴィクトル・ルスティクは1890年、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったボヘミア地方のホスティンヌという町に生まれました。 父親は同地の市長を務めた中産階級の出身であり、ルスティク自身もパリ大学で学んだとされています。

複数言語に堪能だった彼は、第一次世界大戦前から大西洋横断客船で詐欺を働き始めました。 ターゲットは、ヨーロッパとアメリカを行き来する富裕層。 彼が好んで使ったのは「ルーマニアの紙幣印刷機」(英語圏で money box / Rumanian box と呼ばれる古典的詐欺具)と呼ばれる箱型装置で、これに白紙を入れると本物の紙幣が出てくると見せかけて、装置自体を高額で売りつけるという手口でした。詐欺師界隈では、こうした作りこみの長期型詐欺を「ロング・コン(long con)」と呼び、その場で財布をすり取る「ショート・コン」と区別する文化が、今も残っています。

戦争が始まると客船の運航は減り、彼は活動の舞台を陸に移します。 1925年、フランス。 彼はこの年、当時35歳でした。

2. 手口の解剖

ルスティクは、ある日パリの新聞記事に目を留めます。 そこには、エッフェル塔の維持費が市の財政を圧迫しており、修繕には莫大な費用がかかると書かれていました。

塔は1889年のパリ万博のために建てられた仮設構造物でした。 当初は20年で解体される予定でしたが、無線通信用アンテナとしての価値が認められ、存続していたのです。 しかし1920年代に入ると老朽化が進み、解体論が新聞紙面を賑わせていました。

ルスティクはここに目をつけました。 彼が用意した手口は、三つの要素から成り立っています。

第一に、権威の偽装。 彼は偽の身分証を用意し、「フランス郵電省次官補」を名乗りました。 郵電省はエッフェル塔の管理権限を持つ官庁であり、彼が選んだ役職は、十分な決定権を匂わせつつ、最終承認を上司に委ねられる絶妙な位置でした。

第二に、ターゲット選定。 彼はパリの鉄スクラップ業者5名に手紙を送り、超機密の取引案件があると持ちかけました。 鉄スクラップ業界は当時、第一次大戦後の建材需要で活況にあり、巨大な原材料を喉から手が出るほど欲しがっていました。 業者たちは「政府機密」という言葉に魅了され、自ら秘密を守ることを誓いました。

第三に、入札装置。 ルスティクは5人を高級ホテル「クリヨン」に集め、塔の解体権を入札にかけました。 最も熱心だった鉄スクラップ商アンドレ・ポワッソンに対し、最終段階で「賄賂を要求する役人」を演じ、追加の現金を引き出します。 これは詐欺だと気づいた相手に「政府高官に賄賂を渡したのだから訴え出ない」と思わせる、心理的な閉じ込め装置でした。

3. 露見と顛末

ポワッソンは現金を渡し、エッフェル塔の解体権の「契約書」を受け取りました。 契約後、ルスティクはオーストリア・ウィーンに姿を消します。

ポワッソンが詐欺に気づいたのは、しばらく後のことでした。 彼は妻に相談しましたが、二人は警察への通報を躊躇します。 理由は、ルスティクの計算通り「賄賂を渡した」という事実を公にしたくなかったからでした。 パリの新聞に「鉄屑商、エッフェル塔詐欺に引っかかる」と書かれることへの恐怖が、彼の口を封じました。

驚くべきことに、ルスティクは数ヶ月後、再びパリに戻ります。 そして同じ手口で、別の鉄スクラップ業者グループを相手に二度目の詐欺を試みました。 今度の被害者は警察に通報しましたが、ルスティクはすでに出国しており、捕まりませんでした。

彼の最終的な逮捕は、フランスではなくアメリカでのことです。 1935年、ニューヨーク。 ルスティクは米国財務省の偽造紙幣捜査で逮捕されました。 彼は脱獄を試みましたがすぐに再逮捕され、悪名高きアルカトラズ刑務所に送られます。 1947年、ルスティクは肺炎で獄死しました。56歳でした。

4. 現代への示唆

ルスティクの手口は、約100年経ったいまも、犯罪心理や詐欺研究の文脈で参照されることがあります。 そこには、現代の詐欺パターンの原型と呼べそうな要素が、いくつか含まれているからです。

ひとつは「権威への信頼」の利用です。 官庁の肩書きと公式書類の偽装は、現代のフィッシング詐欺やビジネスメール詐欺(BEC)でも繰り返し使われている戦術と重なります。

もうひとつは「秘密保持の罠」と呼べそうな構造です。 被害者自身に秘密を守らせることで、発覚を遅らせる—— ロマンス詐欺や一部の投資勧誘でも、近い構図が見られるといわれます。

そして「賄賂による口封じ」。 被害者を「自分も後ろめたい立場」に置くことで、警察通報をためらわせるパターンです。 近年の暗号資産まわりのトラブル事例でも、似た心理操作の話を耳にします。

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